床 菜の花
寄付 新幹線はやぶさ
利休忌より前は、茶席に菜の花は用いないことになっています。
庭でのびやかに咲いていた菜の花を、
旧暦の2月28日を向かえたこの週、ようやく入れました。
何故菜の花なのか。
利休が生前愛していた、
利休切腹の床の間に用いた、
いやいや茶会で菜の花を使った記録はないからちょうど利休忌の頃に咲き始める菜の花をお供えしたのが始まりだろう・・・
そうではなく、切腹前、堺に蟄居の折、
細川三斎と古田織部が見送っていた川縁に菜の花が咲いていたのだ・・・
等々色々な説があります。
利休の活躍した安土桃山時代は、日本で菜種油の搾油が始まり、急速に広まった時代でもあります。
つまり、この頃の菜の花といえば、鑑賞の花というよりは、実用の、〝油菜”としての認識が強かったはずです。
利休は、名物として伝えられるものよりも竹を切っただけの花入を好み、
魚籠や水筒といった本来茶の湯で用いない道具を、茶の湯に取り込む「見立て」を行ってきました。
「日常生活で目に留まらないようなありふれた存在の中に美を見出し、その美しさを最大限に引き出す」
ことが利休の美意識の根幹にあるように思います。
薄暗い床に菜の花を入れると、花自体が仄かに発光しているようにも、
春の温かさを滲ませているようにも見えます。
搾油の対象として広まった菜の花の美しさは、
利休の茶の湯世界を体現した存在なのかもしれません。
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