12/20_22 百代の過客

床 無事是神仙 雪山

花 紫陽花照葉(空蝉付)山茶花

(小間 山吹照葉)

花入 梅瓶

寄付 干支の交代

 

今年最後のお稽古は、先週に続き旅箪笥と長尾を扱いました。

松尾芭蕉ではないですが、旅は、人生の旅。

今年の旅を振り返る意味を込めました。

 

長尾は、秋津飾り。

花の式でもあった通り、「秋津」とは蜻蛉のことで、「秋津島」とは日本のことです。

蜻蛉は古くから「秋津」として親しまれてきたのですが、

日本書紀によると、神武天皇が山頂から国見をした際に「あきつのとなめの如し」(蜻蛉の交尾のような形だ)と感嘆したことから

日本のことを「秋津島」と呼ぶようになったそうです。

 

 

 

 

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12/13_15 雪の朝

床 雪満天

茶杓 大高源吾「人切れば我も死なねばならぬなり」写し

脇床 白山茶花

小間花入 杣木

 

旅箪笥

茶器 長尾内海

棗 木地松蒔絵

茶盌 信楽

水壷 末広

 

 

今週は旅箪笥の稽古。

旅箪笥は利休が小田原の陣に用いました。

 

床は時節ですので赤穂浪士討ち入りに因んだ設えにしました。

この討ち入りと茶道、特に宗徧流の深いつながりについては、

平家琵琶も絡んできてとても書ききれません。

 

茶杓の句については、

赤穂義士・村松喜兵衛の作った狂歌

「人斬れば私も死なねばなりませぬそこで御無事に木脇差さす」

からとられたものと思われます。

 

上野の五條天神社に、大高源吾の遺品として懐中木刀が現存していますが、

この側面に上の狂歌がそのまま書いてあるそうです。

 

大高源吾が当時この歌をよほど気に入っていたのが分かります。

 

侍は人を斬れば、自分も無事では済まない。

そこで何事も起こらないように、自分は木刀をさしているのである、という意味ですが

その後の結末を知っている立場からこの言葉を見ると

なかなか意味深長であるような気がします。

 

 

社中の作品は担雪填井でした。

 

井戸を雪で埋めようと努力することは無意味なことです。

でも、周りから見れば無駄だと言われることに心血を注ぐこと。

それがその人の生き様となり、時に後世に伝わる程の味わいとなるのでしょうね。

 

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手製和菓子帖(其の九)―十八公―

毎回好き勝手に稚拙な和菓子を作ってきましたが、

今回ついにお茶事の主菓子を作ることになりました。

 

今回のコンセプト「日本の心」、そして御祖父様からの流れ等をじっくりと反芻した結果、

松のお菓子を作ろうと決めるに至りました。

 

松は日本人にあまりに馴染みが深く、和菓子の意匠でもよくあるものですし、

雪とともに描かれることも多いのですが、

今回は美しく剪定され、美しく雪を載せた松ではなく、

海岸線の、荒々しく力強い松を感じて頂ける様に工夫しました。

 

以下が当日皆様にお配りした説明です。

 

 

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12/6_8 花の式「心」

床 公心如日月

花入七種 春慶・備前・北山杉・酒器・空色・青銅写・七宝写

香盒 蛤 陶兵衛 青海波紙釡敷

結界 屏風 行雲流水

炉縁 青海波蒔絵

棚 更好棚

水壷 山紅葉

茶器 大海

仕覆 秋津島結び

棗 三景

茶 無上 伊藤久衛門詰

主菓子 十八公 川原宗敦

器 黒縁青海波鉢

干菓子 しば栗 飛騨川上屋

    富士のこけもも藤太郎本店

 

 

「公心如日月」は伊藤博文をはじめ、時の総理大臣が書にしたためることの多い言葉です。

松山には秋山好古がこれを書いた扁額が残っているとのこと。

亭主はこのお軸を「ボロボロで…」とおっしゃっていましたが、

それだけずっと掛けられていた証拠、

御祖父様がいかに警察官という仕事に誇りを持ち、日月の心で職務を遂行されていたかが窺える気が致します。

 

また、今回のお道具には、青海波文様が多く登場しました。

ご本人曰く、「特に好んでいる訳でもないが気づいたら沢山あった…」とのことです。

 

末広がりでおめでたいなどとも言われますが、

ペルシャから中国を経て日本へと伝わったこの文様。

日本ではこの青海波の文様が、
穏やかな海をあらわすものとされ、
海がもたらす恵をよび起こす縁起の良い文様とされるようになったと同時に、
海が無限の広がりをあらわすことから、
「人々の幸せな暮らしがいつまでも続くように」という願いも込められているのだそうです。

 

これぞまさに公の心。

警察官→自衛隊→自衛隊と3代続けて公人であるご亭主の家に相応しい文様というわけですね。

 

 

 

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11/29_12/1 武蔵鐙

床 三冬枯木花

花 山茶花 

花入 手桶形

香盒 萩 三日月 一閑写 田原陶兵衛

小間 炉開

寄付 武蔵鐙書状臨書

 

今週は利休の文、武蔵鐙について勉強しました。

この文は利休と織部の歌のやりとりや呼び方から二人の仲の良さが窺えたり、

また伊勢物語を踏まえていることから教養の深さを垣間見ることが出来たり、

また竹の花入の記述等々、

興味深い点が多い為ことに珍重されてきたものですが

 

この文を、

利休が切腹する前年であることに重きを置いて改めて見ると

秀吉との確執がいよいよ極まり、死を覚悟した利休の心情が伝わってきます。

 

竹の花入の最高傑作、これ以上はないものが出来上がったと、

これは自身の侘び茶の大成であると言われていますが

わび茶のみならず自らの集大成と、

今までを振り返り感慨に耽っているような表現です。

 

また、小田原攻めが長くかからないだろうから終わるまで駆けつけなくてもいいと言いながら、すぐに陣中で茶を差し上げたいという文言。

 

蠅が多くて嫌だと、たわいもない愚痴をこぼしておきながら、

最後に蠅を打つ音も慰みであると、わざわざ冒頭に書き加えていること。

 

親しい人もなく、小田原の山の家に移った利休は

このところの秀吉との間柄からも既に切腹を考えていたでしょう。

孤独で、死を身近に感じると、実に様々なことが頭を巡ります。

 

もうすぐ結末を迎えるであろう自分の人生はどうであったか、

親しかった人たちは何をしているだろうか

そして1か月前に斬首されたばかりの愛弟子、山上宗二のこと…

 

ふと弱気になりそうな自分を

最高の花入が出来たと、自己肯定してみたり、

織部と今度会った時はどうもてなそうかと考えることで気を紛らわせたり

それも終われば蠅にまで意識をやることで現実逃避を図る…

(因みに漫画へうげものではこの蠅を金蠅=秀吉と位置づけており、そう見ても面白いです)

 

そして何より心の慰みとして、こういった会話を、織部と直接交わしたい、

いつでも訪ねてほしいという切実なる願いがひしひしと伝わってきます。

 

このように利休の心の動きを想像すると、

勝手ながら、

きっと末期がんの患者はこれと似たような心境であろうとさえ思えるのです。

 

 

 

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11/22_24 欅・桧

床 時雨洗紅葉 大道老師

花 矮鶏檜葉 欅 小菊

花入 筒 備前

寄付 檜葉 犬琵琶

   利休筆 禁中御茶会記 臨書

 

 

今週は茶器に使われる木について勉強しました。

真塗の欅と、木目を生かした木地塗の檜です。

 

黒漆を何層も重ねた真塗は、よほど木地を薄くしないと厚ぼったく、重くなってしまいます。

欅は硬く、摩耗に強いので透けるほど薄く挽くことが出来、真塗に向いているのです。

逆に言えば、透けるほど薄く挽く技術あってこその真塗であるということですね。

 

ただし、欅は伐採してから枯れるまでの間に大きく反っていく性質があり、

それは大黒柱に使うと家を動かす程であるといいます。

ですから何年も寝かせないと使えないそうです。

 

因みに横浜市をはじめ、実に多くの自治体がシンボルに指定しているのが欅です。

六本木のけやき坂は毎年この時期イルミネーションが綺麗ですね。

 

 

対する檜は、日本では最高品質の建材として知られています。

耐久性、保存性、加工に狂いがないなど、あらゆる面において優れているからです。

世界最古の木造建築、法隆寺は檜を建材としたことによって現存していると言っても過言ではない程です。

他にも東大寺や伊勢神宮等、檜と縁の深い寺社仏閣は挙げればきりがないですが、

古事記でスサノオが使用していたのが最古の記述だそうです。

 

ちなみに檜というと「火天の城」で極めて重要な役を担っていますが、

映画では樹齢2000年の檜を撮影するために台湾でロケを行ったそうです。

今でも台湾には樹齢1000年を超える檜がまだまだあるんだとか。

 

茶器での檜は、その美しい木目を見せる為にわざと合口を接ぐ仕立てが用いられます。

別の木材を接ぎながらも違和感を感じさせず、滑らかにするのですから相当熟練した技術が必要となりますが、

その技もさることながら、見事に年を重ねた年輪への敬意が感じられますね。

 

 

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11/15_17 炉開き

床 松風 逢春寺大徳法谷文雅 中廻し貴船緞子

花 炉開椿 錦木

花入 竹香炉型

香盒 玄猪包 仁清写し 桐鳳

菓子 亥の子餅

 

乙亥会では今週炉開きをしました。

 

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11/8_10 雨ニモマケズ

床 雨ニモマケズ

花・寄付 法華経の世界

 

床は社中の筆です。

311の後、渡辺謙さんが動画で発信された「雨ニモマケズ」の朗読に感銘を受け、

自分でも諳んじるようになったそうです。

(その動画はkizuna311にてご覧下さい)

 

ちなみに大震災の1か月後の4月11日、ワシントンのナショナル大聖堂において、犠牲となった方々を悼む、宗派を超えた追悼式が開かれたのですが、

サミュエル・ロイドⅢ世大聖堂長により、復興への祈りが捧げられた後、この「雨ニモマケズ」が英語で朗読されています。

 

 

 

宮沢賢治と法華経は切っても切り離せない関係だといいます。 

 

 

 「…宮沢賢治は大変熱心な法華経信者で、亡くなるまで日蓮聖人を敬慕し続けた…また、彼の死が近いことを悟った父が病床の賢治に向かって『何か言い残すことはないか』と尋ねたところ『最後に一つ頼みがあります。自分が死んだら『国訳妙法蓮華経』を一千部印刷して、私が親しくしていた人たちに分けてください』と頼み、経文の巻末に次の言葉を付け加えるように言い残した。

「日蓮がわかる本」より

 

雨ニモマケズはノートに書かれたものですが、

「サウイウモノニ私ハナリタイ」で終わった詩の隣のページには

 

「南無無辺行菩薩、南無上行菩薩、南無多宝如来、南無妙法蓮華経、南無釈迦牟尼佛、南無浄行菩薩、南無安立行菩薩」

と書き込まれています。

 

実際、雨ニモマケズの世界は法華経の教えそのものであるといいます。

 

 

 妙法蓮華経常不軽菩薩品(第二十)

 我不軽汝 汝等行道 皆當作佛 諸人聞己 軽毀罵詈 不軽菩薩 能忍受之

 私はあなたがたを決して軽んじません。
 なぜなら、あなた方は道を行じて、皆仏となる身であるからです。
 そのとき、人々はその言葉を聞いて、なんて馬鹿げたことをいう坊さんだと、

 笑って罵詈雑言をあびせました。
 しかし、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)はよくこれに耐えしのびました。

 

不軽菩薩は難しいお経の話などいっさいせず、会う人、遭う人すべての人に対して、

「私はあなたを尊敬します。敬います。」と言い続けていたといいます。
それは、すべての人は将来仏となる可能性を持った存在だと考えていたからです。

彼はどのような人にもへりくだって身をかがめて、丁寧な言葉でこのように言い続けていたといいます。

暑い日も、寒い日も、雨の日も、風の日も、他人に笑われ、馬鹿にされようと、あちこちに出かけては、人の難儀を少しでも和らげ、思ったように助けられないときはおろおろと立ち尽くし、法華経に祈っていた宮沢賢治の姿に重なります。

 

釈迦の来た道(http://blog.livedoor.jp/space3000/archives/51679053.html)より

 

 

日頃お茶では禅宗について学ぶ機会は多いのですが、法華経に触れることはあまりありません。

私自身法華経のことは殆ど知りませんが、

「全ての生きとし生けるものが仏になる、だから敬う」という姿勢は

茶道においても深く共鳴するものがあるように感じました。

 

お茶や、お水、茶道具を構成する竹や土に至るまであらゆるものに尊敬の念を持ち、

精進することができれば

一服の中にも新しい世界が見えてくるのかもしれません。

 

 

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11/3 六郷神社 崇敬会大祭 添釜

歌花筒

軸 閑座聴松風 大徳寺派常閑

花 庭のもの

釡 風炉切合

風炉先 みのり

水壷 染付 山水図

棗 宗旦好中棗 乱菊写

茶盌 日の丸 京焼

替 山百合 黒楽

茶杓 銘 佳日 福本積應

蓋置 三鈴 唐銅 閑浄造

茶 小倉山 小山園

菓子 子萩もち 春日堂

 

平成二十四年 文化の日

 

十一月三日は「文化の日」、戦前は四大節の一つで「明治節」といい、

明治天皇の誕生日である。

その遺徳をたたえ文明・文化の記念日として

各地でいろいろな文化事業の催しが行われる。

戦後憲法の改正があって呼称は変わった。

神宮館運勢暦より

 

(以上 会記)

 

青空高く日の丸が掲げられた右上の写真は大田区の六郷神社です。

毎年文化の日に崇敬会大祭が執り行われるそうで、

今年は氏子である社中の一人を代表とし、添え釜をさせて頂きました。

 

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10/25_27 立礼と中置

床 閑事

花 藤袴

花入 通筒型 蔦雀図

香盒 柘榴 㐂山

紙釡敷

結界「梛なぎ」

茶盌 やつれ片口

   十三夜 泉湧寺 敦司

 

 

11月3日

大田区六郷神社において献木式が行われます。

社中の一人が添え釜を担当することになり、

乙亥会としてお手伝いをすることになりました。

 

それに伴い、今週は立礼のお稽古でした。

 

 

お稽古でも軽く触れました、藤袴について。

原産は中国。

 

万葉集には、山上憶良が秋の七草を詠んだ旋頭歌に入っています。

「萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花」

 

桜餅のような芳香があることから、香蘭、王者香の異称もあるそうです。

満州国の国花でもありました。

 

乾燥させたものを風呂に入れると肩こりを緩和する他、

利尿作用もあるそうですが、

ピロリジジンアルカロイドという成分に肝毒性があるので注意が必要のようです。

 

かつては河原によく咲いていた藤袴ですが、

現在は絶滅危惧種に指定されています。

園芸用の藤袴は同属多種か本種との雑種とのこと。

厳密にはフジバカマではないのですね。

 

京都では本来の(?)藤袴を増やそうという運動が2008年頃から展開されているそうですが、

レッドリストから外され、いつかまた河原で見られるようになる日が来るといいですね。

 

 

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10/18_20 花の式 「龍村の心」

床 温故知新 高岡岳堂

花入 萩 丸形掛け 波多野善蔵

香盒 堆朱 瓢箪

風炉 眉風炉

棚 竹台子 熨斗 飾り

水壷 マイセン 丸壷 野草文

茶入 唐物大名物 福原茄子 写し

仕覆 笹蔓緞子

棗 板唐松 輪島 桂寛

茶杓 銘 せせらぎ 影林宗篤

袱紗 角龍文金襴 草花文銀モール

   小花文羅 蓮池水鳥緞子

   桑山間道

茶盌 黒楽 細川護熙 井戸 同

   唐津 田中佐次郎 輪島 赤

   角偉三郎 錬金文 同

蓋置 萩つくね 隆司

建水 曲げ

茶 小倉山 小山園

主菓子 恵那 松月堂 栗きんとん

器 輪島 二重箱 箱瀬淳一

  角盆 角偉三郎

干菓子 和三盆 さぬき本舗

器 輪島 小箱 箱瀬淳一

寄付 袱紗 箪笥

 

 

今回の花の式の主役は、袱紗です。

古の茶人が愛した大名物裂を龍村が復元したものです。

それに合わせて、今回の亭主をされた方がその他の道具を

ご自身所有のものの中から選ばれました。

 

会では皆様がその一つ一つを興味深く拝見されていました。

特に袱紗は竹台子の上に飾られるとその場が引き締まるような、

荘厳な雰囲気でしたが

手に取るとその軽やかさに皆様驚かれてました。

 

今回も亭主以外何をするかは当日にくじをひいて決めました。

各々自分に当たった役割から亭主をサポートし、全員で花の式を作りました。

 

床の通り

龍村の「温故知新」の心を一座が共有できた

とても素敵な会となりました。

 

 

 

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手製和菓子帖(其の八)―呼子鳥―

呼子鳥とは何か。

 

 

呼子鳥が歌に詠まれるようになったのは万葉集からです。

 

万葉集で呼子鳥が詠まれた歌は9首。

万葉学者の伊藤博氏によると、
「万葉では晩春に子(妻)を呼び求めて鳴く鳥とされているけれども、いかなる鳥とも知られない。普通、郭公とか言われているが、山口爽郎『万葉集の鳥』には、托卵して子を呼び続けるホトトギス科の四種の鳥(カッコウ・ツツドリ・ホトトギス・ジュウイチ)をいうとしている」(万葉集釈注)
としています。

 

先ほどの記事の続きのようですが、やはり日本人はホトトギスの鳴き声が好きなのですね。

 

また、山陰地方では山彦のことを呼子鳥と言うそうです。

 

鵺など、空想上の生き物であるという説も。

 

このように呼子鳥が正体不明であることから、

 

むつかしや猿にしておけ呼子鳥(宝井其角)
大かたは猿にしておけ呼子鳥(高天鶯)
猿ならば猿にしておけ呼子鳥(市川白猿)
などという俳句も後世に作られているほどです。

 

さて、この呼子鳥、茶道の世界では上に挙げたどれでもなく、

鹿の声として知られています。

何故ここにきて突如鹿が出てくるのかは不明ですが。

 

今回はその鹿がうずくまる姿を表した松江の銘菓「呼子鳥」に挑戦してみました。

ご近所から頂いた栗を栗餡にし、漉し餡を練り切りにしたもので包みました。

 

本来は外側は小豆の皮を剥いて炊いた、「皮むき餡」が用いられています。

それを使うことで淡い古代紫の色合いと、栗餡の透け具合が相まって鹿に見えるのだとか。

 

普通の漉し餡でそれを再現しようとしてもなかなか上手くいきませんでした。

素人が銘菓を簡単に再現できる訳もないのですが。

 

本家は背中に紅葉の焼き印があるのですが、

寒天を2色に染め、その代わりとしました。

 

それにしても栗餡と小豆は本当に相性が良いですね。

見た目はあんこ玉のような、素朴すぎるものになってしまいましたが、

味覚から少しでも秋を感じて頂けたら幸いです。

 

 

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10/11_13 時鳥草

床 無辺風月 足利紫山

青磁 銘「薄氷(うすらひ)」丸香台飾

時鳥草 紅白水引

 

お稽古は先週に続いて菊総飾です。

 

 

ところで。

卯月鳥。

早苗鳥。

魂迎鳥。

死出田長。

 

これは何を表すかご存知ですか。

 

蜀魂。

田鵑。

杜鵑。

杜宇。

子規。

不如帰。

時鳥。

 

もうお分かりですね。

これらはすべてホトトギスの異名、もしくは漢字表記です。

中国から伝わった名前に、鳴き声からつけられたもの等

これほど表記の多い鳥も珍しいです。

 

鳴き声といえば

ホトトギスという名前自体が

「ホトホト」という鳴き声に

「カラス」や「ウグイス」と同様、小さい鳥を表す「ス」をつけたとされています。

 

この特徴的な囀りを、

江戸時代では

「本尊かけたか」

「産湯かけたか」

「天辺かけたか」

などと表し

戦後になると

「特許許可局」

とも言われるようになりました。

 

歌に詠まれるようになったのは万葉集から。

夏の渡り鳥ですので、橘や卯の花とともに詠われることが多かったそうです。

 

鳥のホトトギスは夏ですが、花のホトトギスは秋を代表する野花の一つです。

 

斑点のある花びらが、ホトトギスのおなかにある模様と似ているためこの名前があります。

また、若葉に油染みのような斑点があるので、ユテンソウ(油点草)の別名があります。

 

名前や鳴き声の表記が沢山あり、

見た目からは花の名前になり

いかにホトトギスという鳥が古くから日本で愛されてきたか分かります。

 

因みに、ホトトギスといえば

「鳴かぬなら~ホトトギス」

が有名ですが、

それぞれ本人が詠んだものではなく、江戸時代の随筆に書かれたものです。

 

一説には、あのホトトギスは前田利家を表しているのだとか。

真相はわかりませんが、それだけホトトギスが身近な鳥であったということでしょう。

 

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10/4_6 no‐mindedness

丸香台 菊花総飾り

 

床 無心 逸外

花 藤空木尽し

花入 益子 浜田庄司

棗 春慶塗

寄付 桂離宮と二条城

 

床に因み、「菊人形になって無心に遊ぶ」というテーマで設えました。

 

菊について。

日本には古くからヨモギなどの野生種がありました。

鑑賞用の菊は、平安時代に中国から重陽の節句とともにもたらされたといいます。

万葉集には登場しませんが、古今集からは盛んに歌にも詠まれるようになったそうです。

天皇家の紋となったのは鎌倉時代、後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、家紋としました。

春の桜と並んで、日本を代表する花ですね。

 

尚、ギャラリーには点前を終えた総飾りの写真を載せましたのであわせてご覧下さい。

服紗は蝉結びです。

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手製和菓子帖(其の七)―蓬莱の玉―

竹取物語中に出てくる5つの難題は

 

石作皇子へ「仏の御石の鉢」
右大臣阿倍御主人へ「火鼠の裘」
大納言大伴御行へ「龍の頸の五色の玉」
中納言石上麻呂へ「燕の子安貝」

車持皇子へ「蓬莱の玉の枝」

 

これらを持って来させるというものでした。

 

今回はその中から最後に登場する

「蓬莱の玉の枝」を題材に菓子を作ってみました。

 

下の層は白餡の羊羹を、

五色のきんとんを散らした寒天で上の層を作りました。

 

きんとん餡が余るのが勿体ないと沢山撒いたところ、

てんこ盛りになってしまいました…。

もう少し控えめの方が良かったかもしれません。

 

また、上の層と下の層が分離してしまい

食べる際に苦労をおかけしました。

 

土曜のお稽古ではそれを防止するために黒文字を刺して提供していた様で、

図らずもそれが玉の枝に見えたとか見えなかったとか。

 

 

因みにこの蓬莱の玉の枝を所望された車持皇子は藤原不比等がモデルとされています。

財力のあった不比等は、他の4人とは違い、

黄金や真珠をふんだんに使ってこの蓬莱の玉の枝を自作しました。

というか、職人に作らせました。

そして、その出来栄えは素晴らしく、かぐや姫もこれには唯一騙されました。

しかし、ふいに庭にやってきた職人たちが給料をよこせと不比等に詰め寄り、嘘が露呈するのです。

千日間、つまり三年もかけて作ったのに何も払われなければ当然ですね。

 

このように、車持皇子が5人の貴公子の内最も卑怯な人物として描かれており、

恥ずかしい顛末を迎えていることから

藤原政権を暗に批判しているとされているのです。

(他にも不比等説を強める記述はいくつかあります)

そう考えると、藤原氏によって失脚し、文人になった紀貫之が作者であるとする説が

ますます有力になってくる…ということだそうです。

大体、これほどの物語を描ける程の文才がある人物はそういませんよね。

 

 

最も、この説も後世には何らかの新たな証拠の出現によって否定されるかもしれません。

それもまた楽しいですね。

 

 

 

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9/27_29 Princess Splendor

床 真味只是淡

花 秋明菊

花入 砧 備前

香盒 琵琶

水壷 九谷 竹に双鳥

茶入 高取尻張 織部緞子

茶盌 名月重ね

 上 沼津焼 香具山の土にて

 下 其中釡 河村又次郎

 替 竹心

茶杓 不死の山

菓子 蓬莱の玉

器 河村又次郎

寄付 飛青磁

 

 

「かぐや姫の名月を前に」

という趣向で設えました。

 

竹取物語は日本最古の物語として知られています。

作者は不詳で紀貫之説が有力とされている他、これを元にしているとされるチベット族の民話への影響も研究の対象となっています。

また、最古は古事記、万葉集や源氏物語に今昔物語、その他平安時代以降に作られた実に多くの作品が竹取物語を引用していたり、影響を受けています。 

 

SFの中に政治風刺が込められていたり、

様々な言葉の起源と思われる言葉が隠れていたり

研究すればするほど奥が深そうな物語ですね。

 

茶入と茶盌は親交のあった先生から譲り受けたものです。

関東では残念ながら30日は台風でしたが

名月に先生を想いながら使わせて頂きました。

 

 

 

 

 

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9/20 秋は来にけり

床 木の間より洩りくる月の影見れば心尽くしの秋は来にけり 古今 不知詠人

花 萩

花入 舟徳利

茶入 広沢写

寄付 飛蝗 富士西湖土産

 

茶入「広沢」は、遠州が釉抜けのある独特の景色からこれほどの茶入を見た人はあるまいとの意で、

「広沢の池の面に身をなして 見る人もなき秋のよの月」
の古歌をひき、命銘したと伝えられています。
観月の名所、広沢池にちなみ、牙蓋の裏側には(金ではなく)
銀貼りをし、満月に見立てています。

 

広沢の池は、三大名月鑑賞池のひとつです。

西行や藤原定家も詠んだ観月の名所として平安時代から知られていたようです。

 

小堀遠州は自身の所持する末広がり肩衡茶入が皆から高評価されなかったことから、

この歌をひいて見事さをたたえたと言われています。

 

ここで疑問が生じます。

観月の名所であれば、この古歌の「見る人もなき」と矛盾が生じます。

遠州の頃は一時的に忘れられていたのでしょうか。

遠州自身の歌ではないのでそれより前からということになりますが。

 

調べてみると、

 

「遍照寺が建立された当時、池は遍照寺池と呼ばれていたらしい。寺は、十四世紀に入った後宇多天皇の頃から次第に荒廃、移転した。池は、明治時代の遍照寺の住職が中心となり、地元の人々の協力で修復された。」

名所旧跡めぐりより

 

平安末期から鎌倉時代にはもう廃れてしまっていたのですね。

遠州が見られなかった平安初期の美しい月見の池を

現代の私たちは見ることができるのですね。

遠州が、後に地元の方の尽力で再び名月の地として脚光を浴びるようになることを知っていたらこの茶入は違う名前になっていたかもしれません。

 

肩から円錐状に広がる型、蓋裏の銀、そして剣先緞子が広沢の特徴とのことです。

 

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手製和菓子帖(其の六)―萩―

今回はきんとんに挑戦です。

 

萩は、秋になると最初に咲く花で、秋を代表する花でもある。

だから草冠に秋と書くのだと、和菓子の本に書いてありました。

 

それを知ると、秋の和菓子1作目はどうしても萩を作りたくなったのです。

 

丸くて愛らしい花びらに、これも丸くて愛らしい葉。

それが無数に重なり風に吹かれているのをきんとん餡で表現してみたいと考えました。

 

 

ピンクと紫の混ざったあの独特な色を表現するのに苦労しました。

また、きんとん餡を粒餡に乗せる、というか植え付けていく作業はやはり集中力を要するものでした。

 

 

 

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9/13_15 一花一情

床 一花一情

花 竜胆 白紫式部 金水引 莎草 虎の尾

花入 有馬籠

香盒 双花螺鈿

水壷 芋頭

棗 灰形山

茶盌 萩図二種

菓子 萩

器 唐津 中里太亀

 

花入と棗について。

温泉で知られる有馬には灰形山という山があります。

秀吉の茶会において利休がこの山の形で風炉の灰を作ったことに由来します。

 

 

床の色紙は「花への思いやり」の意味で実体験に基づいて書かれたそうです。

それに因んで今回のお稽古で使ったある花に注目してみました。

 

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9/6_8 白露

軸は宗興筆 明歴々露堂々です。

玄侑宗久の『禅語遊心』に九月の言葉として載せられています。

 

「露」は熟語になると「表にあらわれる」、もしくは「はかない」という意味で使われることが多い漢字です。

 

この2つは一見かけ離れたようにも思えますが、自然科学を思えばごく普通のこと。

 

空気が露点以下に冷やされることにより「水蒸気」という目に見えないものが、目に見える状態=露になり、

気温の上昇とともにまた水蒸気に戻り、見えなくなる

というサイクルに基づくものでしょう。

 

この2つの因果関係に思いをやることは「現世」について、しいては禅について考えることにもつながるのかもしれません。

 

花は玉あじさいと白水引。

花入は曽呂利。

香盒は先週に続き砧蒔絵です。

 

 

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手製和菓子帖(其の五)―竜宮―

8/29は平曲のお客様が見えてのお茶事でした。

当然設えは平家尽くし。

それに際し、お菓子は「竜宮城」という銘で作って欲しいとの要望を受け

練り切りに初めて挑戦しました。

 

表面の文様について。

竜宮城に因み、亀(亀甲紋)にするか魚(鱗紋)にするか迷ったのですが

三つ鱗は桓武平家の替紋というのを知り、そうしました。

ちなみにこの三つ鱗は正三角形であることが必要で、

頭のつぶれた二等辺三角形になると北条鱗という、北条家の紋になるのだとか。

 

これもちなみにですが、江の島に三つ鱗紋はそこかしこに見つけることができるそうで

これは平家でも北条家でもなく、弁財天のご神紋とのこと。

こちらのご神紋の場合は三つ鱗と波がセットになることも多いそうですが

一応琵琶繋がりということで。

 

 

今回は練り切りを水色と白の2色にし、黄身餡を包みました。

黄身餡で表したかったのは海神、竜神のおわす竜宮の神々しさです。

普通の黄身だけの色では何とも素朴過ぎるというか、少し着色しても良かったかもしれません。

 

肝心の出来栄えですが

何せ独学で「簡単に作れる~」といった類のレシピ本を見ながらであった為

イメージとは程遠く、とても不恰好なものとなってしまいました。

後日少し本格的な技術本を取り寄せたのですが

2色の練り切りを突き合わせる方法から間違っていたようです…。

 

お客様には見た目、味共にとても稚拙なものを召し上がって頂くことになり大変失礼致しました。

次回お越し頂く際にはもう少し見栄えの良い、美味しいものを差し上げられる様精進致します。

 

 

 

そして最後に

 

今まで黙っておりましたが 

黄金に輝く神の棲家に、波が鱗と同化するイメージ…

 

 

数日前にテレビで見た「崖の上のポニョ」の影響を受けたことをここに白状致します。

 

 

 

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