6/26_28 短冊箱 逆勝手 回り花

禅語  山是山 水是水

お菓子 水無月

    黒豆、ぼんたん、梅の砂糖漬け

 


短冊箱は一年のうちに2、3回しかできません。

ですので、皆で思い出しながらのお稽古です。

何が先だ、あれはこっちだとおしゃべりしながら飾る短冊の句に悩んだり、

手順を思い出したり難しく感じる事もありますが楽しいです。

 


逆勝手は7月17日(木)のumiのいえ用のお手前練習。

ここで書いては当日のネタばれになってしまうので詳しくは書けません。

ただ冷茶を供させていただくのでとても夏らしいお手前です。

 


回り花は亭主と4人のお客役でしました。

本当は静かにするものなのでしょうが、あれこれおしゃべりしながらの練習です。

正客の花はとりづらいとか横からみると不格好だが正面はすごく良い、

どの花を生けよう、どこを抜こう今日のお稽古で一番盛り上がりました。

 

お花はドクダミ、虎の尾(紫、白)、ダリア、菖蒲の葉、紅花、

金糸梅 、とさみずき等種類多く変わる景色を楽しみました。

 


禅語は先輩の作。

内容は字の通りで存在を認め合ってこそ円満でいられるという意味。

この禅語を見つめているとあるがままというのが一番難しいのだよね、と自問自答。

 


砂糖漬けは三名の方がそれぞれお持ちになりました。

相談されてそろえた訳ではないのに

同じ日に持ってこられた偶然にびっくりです。

 

水無月は簡単に説明すると6月30日の夏越祓に食べるお菓子。

外郎の上に小豆が乗っており三角に形を整えてあります。

水無月の三角形は氷室の氷を表し、小豆は悪魔払いの意味を表しています。

 

 

 

*今回はお稽古レポートを土曜日の小美濃昭子さんに書いて頂きました。

とても詳しく書いて頂いたので木曜に出られている方や当日お休みの方にも

楽しいお稽古の雰囲気が伝わるのではないかと思います。

昭子さん、有難うございました。

 

 

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6/19_21 平成廿六年水無月作品集

床 忘筅

花 回り花

 

短冊箱の2回目です。

皆様の作品も出揃ったので

今回も名前を伏せて全て載せます。

力作揃いです。

 

 

五月雨に名を挙げたるや源三位せきれい謳うあおかえでかな
かる鴨の越す同じ日にひき蛙旅立つ不思議動物暦
オオカミの狛犬のキバ富士の頂
初夏なのにまだ雪景色赤城山
石像が見守ってくれる両神山
孫息子黒帯めざし日々はげむ笹舟流し勝利を祈る
ベランダのしきりに咲くは時計草この世の未来占ってみる
この佳き日美月を祝い架け橋に両家で集う紫陽花のころ
青梅雨や若葉の上のひと雫
夏がすみ岩にあぐらの野点かな
滝しぶきつるをたのみに浴びにけり
半夏生梅雨の晴れ間の白化粧
かまくらやみほとけの慈悲雨恵
梅の香のもてなし甘いにじり口
昼時につばめが告げる空模様
されどなお金色堂の寂けさよ思い溢れて輝きけるに
梅雨空にひびきわたりし声去りて香の聞こゆる光堂かな
新緑に芽吹ける松や橋がかり薄れる老松はにかみてなむ
梅雨空に若葉のいぶき命うけ
ひかれまじ川の堤に遊ぶ蟹
雨と虫お出まし前に草を引く
オフィスビルもっと脱ぎたしクールビズ
夢の中公園駆ける梅雨の犬
雨粒を食らいて肥える七変化
雨あがり光うるおう苔庭よ
巣立つトキ海を渡りていづこへか
降りしきるさつきの丘に夢の先
梅雨入りに香り立つ茶の一服や
天の川照り映ゆ水面に舟を出し櫂こぐ音は我が背と思ほゆ
ほととぎす君が鳴き音を覚へれば聞けども飽きずまたと待つかも
我がこころ移ろうさまはおかしくもありなぜか目につく紫陽花の色
かぞえればできないことはふえてゆくしぶとくいこうアカシアの花
紅をひき傘もバッグも色揃え華やいでいざ雨ふる街へ
雨上がりほのかに優し梅雨の月
もくもくと湧き続いてる積乱雲異常気象に心乱れる
梅雨空を見上げて思う年月よ
うれしやな六月六日初孫にお琴とお茶の稽古初め
立山に行った気分で映画見る春を背負って美しきかな
アナ雪に勇気もらってレディゴウ雨にも負けず自転車をこぐ
梅雨空に庭輝きて雨あがり蝸牛居て草抜き楽し
梅雨空や苗に花咲くミニトマトまんまる顔に夏は来るなり
天空の小田原城車窓より湘南の海立つは白波
葉のしずく音楽しみ夢えがき
一年の水無月祓晦なり
善哉で友と語らう京の旅
春日山原始林抜け鹿の群
白い手に香りただよう京の舞
雨こんこん水色のかさ買わなきゃね
じゃんけんぽもすぐ三さいおねさんだよ
子燕の勇気見守る園帰り
髪の色競う若者梅雨晴れに遥かブラジル高まる期待(折句「かきつばた」)
鈍色の空に火襷梅雨入る
銀座には同じ歩調の笑顔の母娘パフューム買うのヒスイはいかが
トロフィーはその姿しも灯台にして光は父母のみちびきならむ
受賞写メつゆの晴れ間にホーホケキョ
感謝の音たどたどしくも琵琶弾けば水屋で準備の宇井さん動く

 

 

 

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6/12_14 whale's song

床 ふみくらの庭や緑のしたたれる

花 浜木綿

花入 浜田庄司壷

 

 

写真は、この日のお稽古で初使いをした茶碗です。

十三代 中里太郎右衛門作の唐津焼。

 

何か銘を、ということで

二歳の娘に「何に見える?」と聞いたところ

「くじらさん」という答えが返ってきました。

白い釉薬がたなびく様が

鯨が潮を吹いているように見えたそうです。

 

実際、この茶碗のように

唐津焼の口縁上部のみに鉄釉を塗ったものを皮鯨と呼びます。

鯨の皮と脂肪の境に見立てているわけです。

 

そんなことは娘は知る由もないのですが

丁度良いので鯨にしようと。

ただ、「鯨」そのままでは味気ないので

「鯨音」としました。

 

鯨音とは、鯨の鳴き声のこと。

また、広く響き渡る梵鐘の音も意味しています。

 

その元となっているのが「鯨鐘」という言葉。

鯨鐘とは、梵鐘の別名です。

他にも、華鯨、巨鯨という呼び名もあります。

 

その由来は・・・

 

龍の九子(9つの子供)の一つである蒲牢という伝説上の生き物がいるのですが

その蒲牢の鳴き声が鐘に似ていることから、

日本では平安中期より梵鐘を蒲牢と呼ぶことがありました。

 

この蒲牢、鯨に襲われると大きく鳴くのだそうです。

そこで、鐘の音を大きく鳴らすために蒲牢の姿を鐘の上に作り

鐘を打つものを鯨になぞらえるようになってきました。

因みに、日本では蒲牢という生物が馴染まなかったからでしょうか

後にこの蒲牢の部分を竜頭と呼ぶようになりました。

時計のゼンマイ巻にもその名前が使われていますね。

 

そして、そこから更に転じて

鐘そのものの大きさや音の大きさも相まって

梵鐘そのものを鯨鐘と呼んだり

その音を鯨音と呼ぶ動きが出てきました。

また、鐘自身の変化に富むところから

美称としての華鯨という名も生まれました。

 

華鯨という称は鎌倉時代以降、

特に安土桃山時代に集中して見られるそうです。

蒲牢(竜頭)の形が技巧を凝らしたものになってきたのも

華の字が多用されたのも安土桃山時代ですから

当時の華麗を好む世相が伺えますね。

 

 

こういった流れは全て中国の故事や伝説を元にしているのですが

竜の子を鯨が襲うわけですから

鯨が伝説上の動物にも匹敵する

神格化された特別な存在であることが分かります。

日本でも海や漁業の神様として古くから大切にされてきました。

 

広い海をゆったりと回遊する大きな鯨。

たまには鯨になった気持ちで

心を広く持ってみることも大切かもしれません。

 

人の評価を気にしてクヨクヨしたり、

逆に他人に批判的に、攻撃的になっていると気づいた時は

そんなものは自分の得にならないことに目を向け

鯨のように、思い切り「プシュー」と吐き出してしまいましょう。

それは、お寺の梵鐘を撞く行為ともリンクしています。

 

そして、余分なものを存分に吐き出した後は

お茶がいつもより美味しく感じられるはずです。

 

この茶碗はそんなことを教えてくれています。

 

 

 

 

 

 

 

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6/5_7 the blessing of rain

床 和風

花 額紫陽花 矢羽芒

 

3週目の茶箱のお稽古でした。

毎年茶箱のお稽古の時は庭に出て

野点を楽しむのが通例となっているのですが

今年は天候に恵まれずほとんど外に出られませんでした。

 

 

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5/29_31 アナと雪の女王

床 無心

花 撫子 小判草 野蒜

香盒 花筏

 

 

このところ、映画「アナと雪の女王」が大ヒット中ですね。

今回の禅語を書かれた小寺さんも観に行かれたそうですが

映画そのものはもちろん、主題歌にも人気が高まり

映画館で大合唱をする企画さえあるとか。

4歳の姪もお気に入りの歌です。

 

この主題歌、原題の「Let it go」とは意味を変え

「ありのままで」というタイトルになっています。

 

すっかり有名になったサビは

 

ありのままの姿見せるのよ
ありのままの自分になるの
わたしは自由よ
これでいいの 少しも寒くないわ

 

これが曲中何度も繰り返し出てきます。

 

現代人がこれを大声で歌いたくなるのは

ありのままの姿を見せたいという願望

言い換えれば

現実ではありのままでいることが難しい

ということを無意識で理解している表れかもしれません。

 

 

 

次に

 

 

心を縛るもの、わだかまりなんてないのよ

何かにとらわれたりしないの

だからこだわりもないのよ

そうすれば少しも怖くないわ

 

 

これを先程の歌詞と見比べてみて下さい。

 

これは勿論、2番のサビとかではありませんが

言い方を変えただけで殆ど同じことを歌っているように見えます。

この詞は一体何でしょうか。

 

 

心を縛るもの、わだかまりなんてないのよ

何かにとらわれたりしないの

「心無罣礙(しんむけいげ)」 

だからこだわりもないの
「無罣礙故(むけいげこ)」 

そうすれば少しも怖くないわ
「無有恐怖(むうくふ)」

 

 

お分かりでしょうか。

これは般若心経の一節です。

アナと雪の女王っぽく現代語訳してみました。

 

しかしこれ程までに重なるとは

訳しながら笑ってしまいました。

 

この主題歌「ありのままで」が日本人に馴染む訳です。

同じことを、私たちは千年以上も前から何世代にも渡って唱えてきたのですから。

DNAに染みついていると言っても過言ではないかもしれません。

 

 

この

アナと雪の女王でいう

「ありのままの姿見せるのよ」

 

般若心経でいう

「心無罣礙」

 

禅的に漢字二文字で表すと

「無心」

になります。

 

・・・やっと今回の言葉まで辿り着きました。

 

禅では、座禅修行でも分かる通り

「無心である」ことがとても重要視されます。

禅語にも

「流水、無心にて落花を送る」

「花無心にして蝶を招く」

その他にも「無心」という言葉を使わずに無心を説いたものが沢山あります。

 

無心とは、心の無いことではなく

ありのままに命を輝かせること

煩悩、欲から離れ、自分らしく精一杯生きること

を意味しています。

 

これをわざわざ説くということは

無心になることが如何に難しいかということです。

 

実際座禅を組んでみると分かりますが

初心者が座っているだけですぐに無我の境地に至れるものではありません。

沢山修行を重ねた先に辿り着ける境地なのです。

 

また

よく野球のヒーローインタビュー等で

「無心で打ちました」

といった言葉を聞けることがありますが

これも同じこと。

大した練習もしないで試合に出たところで

無心にボールを打つこと等出来るはずがありません。

「無心」は血の滲むような練習、努力の賜物なのです。

 

茶道においても

お点前をする時、無心になる為には

何度もそのお点前を真剣に繰り返し、身体に染みつかせなくてはいけません。

そうして無心でされたお点前の所作には言葉にできない美しさがあります。

 

仕事でも、家事でも、

やはり同じことが言えましょう。

 

そう考えれば

「ありのままの自分」

が出せる人とは、毎日を懸命に生きている人。

 

そうありたいものですね。

 

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5/22_24 秀峰の光

花 秀峰の光

花入 寒雉 大曽呂利

寄付 朱鷺

 

 

 

庭のさつきが咲きました。

この秀峰の光という種類は朱鷺色の花弁が愛らしく

長く新潟に住んでいた母のお気に入りです。

それに因んで2年前にはこのような外郎菓子も作りました。

 

 

ところで、サツキとツツジの区別が分からないという方

多いのではないでしょうか。

 

簡単に言ってしまえば、サツキはツツジの一種になります。

サツキはツツジ科の植物、サツキツツジを略したものです。

 

サツキと、その他のツツジの見分け方としては・・・

 

■開花時期

ツツジ:4月中旬~5月上旬頃
サツキ:5月中旬~6月中旬頃

■新葉と花の順番

ツツジ:新葉より花が先に咲く

サツキ:葉が出てから花が咲く

 

■葉や芽に生える毛の色

ツツジ:緑色

サツキ:茶色

 

ツツジとして代表的な大紫ツツジと比べると

サツキは葉が小さく花の色も豊富であるので違いが分かりますが

ツツジの中にも珍しい品種があり、中には上の判別法に当てはまらないものもあるそうで・・・

 

ですから中々見分けるのは難しいこともあるのですが

茶道をお稽古していく中で注意が必要なことは

上に挙げた開花時期の違いです。

季語でいうとツツジは春、サツキは夏になるそうです。

厄介ですね。。

 

ですが、サツキとツツジを合わせると4月から6月まで

長い期間身近なところで私たちの目を楽しませてくれる花です。

見つける度に、

これは毛が緑色だからツツジ、これは新葉が既に出ているからサツキ・・・

などと自分なりにチェックしていくのも楽しいかもしれません。

 

 

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5/15_17 子規

床 松樹千年翠

花 卯の花

花入 舟徳利

寄付 茉莉花 鳰の浮巣

 

 

木曜のお稽古では平曲の鈴木まどか先生にお持ち頂いたお菓子「羽衣」が

床の「松樹千年翠」に丁度相応しいということで

松の菓子器に乗せ

三保の松原に見立てました。

その名の通り

フワフワと軽やかでとても美味しく頂戴致しました。

 

 

さて

この時期の茶杓に使われる銘の一つに

「一声」というものがあります。

これは誰の声かと言いますと

ほととぎすなのだそうです。

 

木隠れて茶摘みも聞くやほととぎす

 

と芭蕉も詠んだように

夏の到来を表す鳥として古くから親しまれてきました。

 

ほととぎすにどのような漢字をあててきたかは

以前の記事で紹介した通り、

卯月鳥や早苗鳥などがありますが、

他にもあやめ鳥や田長(たおさ)鳥といった呼び名もあります。

いかにも、この季節の鳥といった名前ばかりですね。

 

中でも卯月鳥の通り

今回の床の花、卯の花とはとても相性が良く、

唱歌「夏は来ぬ」でも

 

卯の花の匂う垣根に時鳥早も来鳴きて忍音もらす夏は来ぬ

 

とセットで歌われています。

 

卯の花とほととぎすの組み合わせといえば

忘れてはならないのが

明治を代表する文豪の一人で、

前回の記事で扱った夏目漱石とも親交の深かった、正岡子規です。

 

正岡子規の「子規」とは、ほととぎすのことなのです。

子規がこの名前を名乗るきっかけは明治22年。

喀血した22歳の時です。

 

ほととぎすは赤い口を開けて鳴くので

その様子が結核患者の血を吐くのに似ていることから

「啼いて血を吐くほととぎす」

と言われている程、結核患者の代名詞でした。

 

子規は、血を吐き、肺結核との診断を受けると

 

卯の花をめがけてきたか時鳥

 

卯の花の散るまで鳴くか子規

 

と詠みます。

 

診断を受けたのは

ちょうど今の時期、5月のはじめだったのですね。

 

子規は

卯の花を卯年生まれの自分に

ほととぎすを肺結核に

それぞれ重ねたのです。

 

そして、自らを子規と名乗るようになりました。

それにはどれほど大きな覚悟があったことでしょう。

 

22歳の若さで死に至る病に侵されていると知った時の絶望は量り知れません。

しかしそれを全て受け入れ、自分の内にも外にも知らしめ、

病とともに生きていくという決意が

「子規」の名前には込められているのですね。

 

うさぎの耳の形をした可憐な卯の花に

若き天才俳人の強く儚きを見ました。

 

 

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5/8_10 草枕

床 悠然見南山

花 母子草 肥後草 風露草 矢車草 勿忘草

花入 風の庭籠

香盒 空豆型 壺々蒔絵

 

 

今回の花はどれも道端に生えているような野の花ばかりです。

母の日が近いので、母子草を主役に入れてみました。

七草粥ではごぎょうと呼ばれていますね。

 

普段は雑草と言われてしまう草花であっても

きちんと目を向け

敬意をもって接すると

はっとするほど美しい表情を見せてくれます。

 

「名もない花には名前をつけましょう~」

などという歌が数年前にはありましたが

名もない花などありません。

雑草という名の草もありません。

 

興味を持つこと。

調べてみると風流な名前がついていたり

住んでいる地域に特有の種であったり

実は漢方で珍重されている等

様々な事実を知ることが出来ます。

 

草花に限ったことではありませんが

相手を知ろうとする姿勢が

より一層の思いやり、大切に扱おうという気持ちを生むのではないでしょうか。

 

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5/1_後見席

この日のお稽古は、

先週の花の式にて用いたお道具の数々を

床に並べ

後見の席としました。

 

また、子どもの日が近いので

寄付には切り絵で制作した鯉のぼり画や

包装紙で作った兜等を飾りました。

 

兜の作り方はオーソドックスなものしか知りませんでしたが

調べてみると、随分と凝ったものも

数多くあるようで

今回挑戦したものもちゃんと錣があって

娘にかぶらせるとなかなか格好の良いものでした。

 

お菓子は勿論、柏餅を皆で頂きました。

 

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4/26_第22回花の式 松永耳庵

於 松永記念館 老欅荘

濃茶席 松下亭

 

掛物  伊勢物語 東下り 第九段 雅子筆

花   庭のもの 花入 松下亭

香盒  浜土産 比叡山 雅子造

釜   阿弥陀堂釡 松下亭

炉縁  木地 松下亭

水指  甲午みかん 梶田正一造

茶入  四方染付「太公望」つまみ電球 

    會澤俊英作

袋   杜若 雅子造

茶盌  屋久杉 刳りぬき抹茶碗 川下幸徳作

出帛紗 七宝鱗雷段紋錦 龍村

茶杓  月 雅子書 共歌筒 後撰集

建水  唐銅 松下亭

蓋置  井戸のぞき 伊勢物語第三十三段 筒井筒

茶   山雲の昔 竹茗堂(静岡)

菓子  耳庵まんじゅう 盛月製(箱根板橋)

菓子器 八寸 藤井博文作

 

 

 

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手製和菓子帖(其の二〇)―せとか羊羹―

文旦の皮の砂糖漬けで味を占めてしまい

今回はせとかの皮で挑戦してみました。

 

元々皮の厚い文旦はそのまま薄茶に合わせられましたが

せとかは同じようにはできないので

白餡とあわせて羊羹にしました。

 

皮が薄いとはいえ、

やはり砂糖漬けに加工するのには4日程かかります。

 

普段効率や時短といった言葉に囲まれていると

敢えて時間や手間をかけることは貴重なことのように感じます。

 

市販のお菓子のような美味しさは出せるものではありませんが

社中の皆様にはしばらくお付き合い頂きたいと存じます。

 

 

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4/17_19 misty moon

床 いつ暮れて水田の上の春の月 蒼虬 添書 大道老師

花 白山吹 一汐 花筏

花入 短冊花篭

 

今週は

乙亥会にもファンの多い(?)茶飯釜のお稽古でした。

(昨年の様子はこちらです)

 

単純に、ご飯が美味しいという楽しみもありますが、

茶飯釡の茶事を行うと

炭が如何に重要であるかを再確認できますし

何よりお米からご飯が炊き上がるのを心待ちにする、

その気持ちを全員で共有することは

正に茶席の心である「一座建立」を体感することでもあります。

そういった意味でも、毎年欠かすことのできない

有意義なお稽古であると考えています。

 

今年は組む炭の種類から工夫を凝らした結果

木曜、土曜共に

理想的な時間、理想的な状態でご飯を炊くことが出来ました。

 

また、炊き上がりを待つ時間、

これまでは自由に一首、俳句か短歌を作って頂いていましたが

今年は趣向を変え、床に掛けてある俳句に下の句をつけるという形を採りました。

 

 

いつ暮れて水田の上の春の月

 

に続く七・七とは。

 

社中皆様の作品を名前を伏せて下に一挙公開させて頂きます。

(お稽古では名前を載せたプリントをお配りします)

 


そぞろ歩きのつかれとけゆく
オタマジャクシも泳ぎはじめる
明日もにぎあうレンゲソウかな 
明日は何処へ川は流るる
まわる水車の音ののどけし 
朧なるかな父のおもかげ 
朱鷺の遊べる佐渡の里かな
いのち芽吹いてときを忘れる
ふと空見上げ背筋がのびる
ぐるり見晴らす山の端白し
ふる里想うわが心かな
蛙の声に急ぐ畦道
夕飯もどる童の笑い 
家に帰りてお月のお酒 
頬触れる風ちと暖かく
寝ぼけ蛙もうかれ騒ぐか 
田中の月とにらめっこ
いにしへの人想うぞうれし 
華燭の典は八日の後に
天体ショーは紅くあやしく
ままならぬままつきを待つ我 
流れるままに流されて今
いつぞいつぞと待ち人想ふ 
月夜に想ふ遠き故郷
水底ねむるは蛙のこども
おぼろげにしてさびしかりけり 
昔を想うふる里のいえ
われ子守にて知るよしもなし 
われ子守にて二人見上げる
風の囁き豊作祈る
なにごとにつけ事の始まり
あかいらんかんひとまようはし
家路急がむ土筆片手に 
朧に浮かぶ祖母の面影 
とってとせがむ子の手あたたか 
静寂(しじま)の闇を往く舟となり
去年(こぞ)の出会いやいまだあざやか 
おぼろに笑みてなつかしきかな

 

 

 

いつの間にか日が暮れて、水を張った田んぼに春の月が映っている。

 

この同じ光景からでも思い描くものは十人十色。

非常に個性豊かで、作者の人となりが表れています。

中でも「おぼろ」というキーワードが多いのは

当然「春の月=朧月」であるからですね。

 

非常に面白い試みでした。

次回も楽しみです。

 

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4/12_HISUI TOKYO

乙亥会の代表であります鈴木宗景が

茶道部門の顧問を務め、

準備を進めて参りましたカルチャースクール

HISUI TOKYOがプレオープン致しました。

 

当日は土曜のお稽古の皆様がお手伝いをして下さいました。

 

その様子を社中の小杉さんが纏めて下さいました。

 

 

 


HISUI TOKYO へ

夏日を思わせる晴天の土曜日、

宗景先生が茶道顧問をつとめるHISUI TOKYOへ社中で行ってまいりました。

 

この日はオープニングということもあり、

「安土桃山時代の茶室が銀座四丁目に!」

と、

並木通りで通行中のみなさまへチラシ配りのお手伝いをさせていただきました。
翠庵は、華やかで、そして意匠をこらしたとても趣ある茶室で、

そこで見せていただいたお点前は銀座らしいとても垢抜けたものでした。
おいしいお茶をいただいた後は抜刀の道場も拝見。

銀座に古くて新しい日本の文化が花開く瞬間に出会えた一日でした。

 

 

 

翡翠の石は

古来から「魔法の石」として世界各地で崇められてきましたが、

中でも日本は縄文時代から勾玉に加工される等、

その歴史は一番長いといいます。

 

日本人に馴染みの深い翡翠色が、

HISUI TOKYOの茶室では土壁の色として使用されています。

そして、襖は安土桃山文化を代表する色と言っても過言ではない金色です。

 

私自身、茶室空間でその2つの色に囲まれた時、

心が落ち着き、集中力が高まり、感性が研ぎ澄まされていくような感覚を味わうことが出来ました。

是非、多くの方に体験レッスンにてそれをご体感頂きたいと存じます。

 

http://hisui-tokyo.com/

(お問い合わせはこちらから。)

 

茶道の他、書道、着付け、そしてカルチャースクールとしては珍しい抜刀も習うことが出来ます。

 

 

 

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4/3_5 他不是吾

床 他不是吾

花 五色椿

 

 

他不是吾(たはこれわれにあらず)

 

他人は自分ではない。

 

 

一見、そんなもの当たり前ではないか、と突っ込みたくなるようなシンプルな禅語です。

ただ、この言葉は我々現代人にとって忘れがちな真理をついています。

 

 

 

日本曹洞宗の開祖、道元禅師が、中国の天童山で修行中の話。
一人の老いた僧が、仏殿の前で椎茸を日に干していた。

杖にすがって、やっと身を保っている様子で、

しかも頭には笠もかぶらず、夏の暑い陽ざしが照りつけ、

敷瓦も焼き尽きるような天気だった。
老僧の額からは、汗が流れ落ちるが、一生懸命に椎茸を干し続けて居る。

見るからに苦しそうだった。背は弓のように曲がり、眉は鶴のように白い。
禅師は大変気の毒に思い、老僧の年を聞いた。

「六十八歳」という。
何故、下働きの寺男を使わないのかと言うと

「他は是れ吾にあらず」と
ピシャリと言われた。

 

自分が眠くて仕方のない時、誰かが寝たからといって自分の眠気が解消されないことは誰でも分かっています。

空腹の時も同じです。

 

それなのに

テレビのニュースや、インターネットの映像を見て、その現場を見た気になっていませんか?

観光地に行かず、そこのお土産をお取り寄せしただけて満足していませんか?

一日の半分以上も子育てをプロに任せているのに、自分が100%育児もこなしているような錯覚に陥っていませんか?

 

便利な世の中です。

代行サービスの発展は目覚ましいものがあります。

中にはお遍路や、お墓参りの代行まであるそうですね。

 

ただ、他人の行ったことは決して自分が行ったことにはなりません。

自分に与えられた課題を他人に解いてもらっても何の役にも立たないのです。

 

結果さえ良ければと、過程を軽視すると、

必ずそのツケが回ってきます。

 

私自身、先日初めて車検の手続きを行う際、あまりに知らないことばかりでとても苦労しました。

いつも自分が乗る車なのに、それまで夫に任せきりにしていたのがいけなかったのです。

 

 

自分のやるべき事は、きちんと自分が受け止めてやりましょう。

自戒の意味も込めて。

 

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