手製和菓子帖(其の十一)―八重桜―

和菓子製作は、最近練り切り生地を使ったものが続いていたので

今回は求肥に挑戦しました。

 

柔らかい為、型で抜いた後の形が崩れてしまったり

くっついたりと、思ったより苦労しましたが

透け感を演出できる素材なのでまた近いうちに挑戦したいと考えています。

 

 

 

 

 

 

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3/28_30  泥七宝

棚 四方棚

水壷 須田作 泥七宝

茶通箱

 

泥七宝とは、明治8年(1875)にワグネルというドイツ人化学者によって釉薬が改良されるまでの

光沢のない不透明な釉薬による七宝のことを指すそうです。

 

そもそも七宝とは…

 

七宝とは、一般的に金属の表面にガラス質の釉薬をのせて焼きつけたものの事をさします。また“七宝”という語は、仏教(法華経)の経典にある七つの宝物 「金・銀・瑠璃(るり)・蝦蛄(しゃこ)・瑪瑙(めのう)・真珠・玖瑰(まいえ)」を表し、その“七宝”に匹敵するほど美しいことから、この名称がつけら れたと伝えられています。
その起源は古く、世界最古の七宝は、ツタンカーメン王の黄金のマスクに代表されるような時代のもので、紀元前十数世紀にまでさかのぼります。その後ヨー ロッパ各地に分散し、日本には、6・7世紀頃に中国・朝鮮を経て伝わりました。日本に現存する最も古い時代の七宝としては、裏面に七宝が施された鏡が奈良 の正倉院に保管されています。

加藤七宝製作所 七宝の歴史より)

 

7~8世紀頃に大陸からもたらされた七宝ですが、中世のものはほとんど見られず、

桃山時代以降に再び室内装飾として脚光を浴びるようになったとか。

 

先日勉強した桂離宮の釘隠しも泥七宝です。

 

因みに中世に七宝作品が作られなかったのは技術的な理由なのか、当時の人々の趣味に合わない等の理由なのかは、どうやら定かではないようです。

 

明治に透明度と輝きを増した今の七宝が出てきて以来、泥七宝はすっかり廃れてしまうのですが

鈍い光を放ち、静かな佇まいの泥七宝に魅力を感じていた人も少なくなかったようで

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の作中に登場したり、

高村幸太郎の作品にも、『泥七宝』という小曲があるほどです。

 

今回のお稽古でも社中の方にお借りして泥七宝の水壷を飾りましたが

自己主張を控えた上品な色味は

周りの茶道具と調和しつつも独特の存在感を放っておりました。

 

 

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3/21_23 利休忌を前に

床 松風

花 菜の花

花入 竹香炉形

棚 四方棚

水壷 泥七宝 須田作

茶通箱

棗 真塗 春斉

 

 

毎年、床に菜の花を入れるのは利休忌からと決められています。

ですから今週の花を見て、社中の皆様はすぐに利休忌とお気づきになりました。

 

 

 

お稽古は今週、来週と茶通箱です。

茶通箱は、もとは抹茶を持ち運ぶ通箱(かよいばこ)だったものを、

千利休が点前に用いたのが始まりと言われています。

箱に2種の茶を入れ、2回点前をします。

 

正客からお茶を頂いたという設定で行いましたが、

点前は自分の茶を謙遜し、正客の茶を褒める、

正客はその逆を、ということで

とても効果的な問答の練習になりました。

 

また、茶通箱そのものは一見、何の変哲もない、ただの木の箱にも見えがちですが、

良く見ると良し悪しがあり、

木目が真っ直ぐであり、その木目が箱の側面同士でつながっているものは

作り手の高い技術が伺えます。

そして箱を開閉する時の吸い付きや、木目の密度、長年の使い込み方など、

実は鑑賞するポイントはいくつもあるのです。

 

 

余計な塗りや装飾を一切省いた潔い見た目でありながら、

細部に職人のこだわりが生きている。

 

先週の

自分からは相手に褒められようと媚びることをせず、

ただ最高のパフォーマンスを目指す植物にも通じるところがあるように思います。

そう考えると茶通箱とはいかにも禅的であり、侘び茶人の好みそうなお道具であると感じました。

 

 

 

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3/14_16 Viva La Vida

床 百花為誰開

花 寒緋桜 加茂本阿弥

花入 青華園

香盒 滑車

銘 花喰鳥

寄付「ああいいな せいせいするな」 宮沢賢治『雲の信号』より

 

 

 

 

茶席で使われる禅語には花を題材にしたものがいくつもあります。

その中でも有名なものの一つに

 

「百花(春至)為誰開」(ひゃっかたがためにかひらく)

 

があります。

 

 

 

私は何の為に生きているのか?

生きる意味とは何か?

 

 

そのような問いは、こう置き換えることができます。

 

 

花は何の為に咲くのか。

誰の為に咲くのか。

 

 

暖かくなると沢山の花が開き、春の訪れを告げます。

そして私達の目を楽しませてくれます。

 

しかし言うまでもなく、花は私達を喜ばせる為に咲いているのではありません。

誰かの為に咲くのではありません。

 

大自然の、宇宙の法則に従って、条件が整ったときに咲くのみです。

自分に与えられた生命を、精いっぱい、無心に発揮する。

だから美しいのです。

 

良寛和尚の詩に
『花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ』

というのもあります。

言葉はシンプルですが、人間にとって無心でいることはなかなか難しいものです。

 

人から認められたい、褒められたい、子供は優秀に育ってほしい、自分は年を取りたくない…

 

いつも自我意識に振り回され、一喜一憂しがちです。

 

宇宙の法則が自分にも働いていることを自覚し、その力に逆らおうとしない。

自分の行動を制限するこだわりなどはさっぱり捨ててしまいなさい。

生きる意味など考えず、与えられた命をただ精いっぱい生きなさい。

 

美しい花の一輪一輪が教えてくれます。

 

 

記事右上の寒緋桜は朝日を受け、まるで自ら発光しているようです。

 

今週は暖かい日差しを浴びて庭の花達も光り輝いていましたので

懸命に生命を謳歌するその姿をカメラに収めました。

何枚かギャラリーに載せていますのでご覧下さい。

 

 

 

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3/7_9 layer

床 茶煮石根泉 今東光

花 馬酔木 八手花笠

花入 尺八

香盒 ぽち 信楽 小沢晶仙

風炉先 神代たも

水壷 積層 泉田之也

棗 玄々斎好曙

茶杓 銘「佐保姫の眠や谷の水の音」

茶盌 龍安寺土産 石庭の石

 

 

311を前に、新しい道具が届きました。

一見するとオブジェのような水壷。

岩手県陸前高田出身の作家さんの作品です。

 

先日訪れたギャラリーでその存在感に一目惚れをし、購入を決めたのですが、

その時は岩手の作家さんとは知りませんでした。

 

作品には三陸野田村の土や野田玉川鉱山の石を使用されています。

ギャラリーでは、穴窯で焼き上げる際に震災の廃材も使われていると伺いました。

 

 

お稽古ではこの水壷を主役に、震災の供養を行いました。 

 

土曜は大倉山梅園に梅見へ行かれるご家族にお立ち寄り頂きましたが、

岩手に御縁の方で、塩釜の日本酒『浦霞』『塩竈の笹かまぼこ』をお持ち下さいました。

 

供茶の後、献杯を致しました。

 

干菓子は社中の松島土産『松島こうれん』

期せずして、東北尽しとなりました。

 

お酒以外は私も頂きましたが、、笹かまぼこはとても風味豊かで、そのままで美味しく味わいました。

松島こうれんは、材料が米と伯方の塩、和三盆糖の3つのみのとてもシンプルなもので、とても軽く、薄いおせんべいのようなものしたので、

1歳半の娘にもあげたところ、とても喜んで食べていました。

もちろん大人でも思わず顔をほころばせる上品な味わいです。

 

野田村と、『浦霞』『塩竈の笹かまぼこ』『松島こうれん』

今後も応援していこうと思います。

 

私たちにできることは

祈り、気にかけ、寄り添う、

小さなことでも続けていくこと。 

 

自然に抗うことはできません。 

いつか物は壊れ、遅かれ早かれ命は消えるもの。

 

だからこそ、

生き物が生まれるという奇跡、

今自分が生きているという事実、

自分の周りの命に感謝して、

毎日を大切に生きていかなくてはと思います。

 

 

大地は動いています。

現在生きている私たちの営みが、未来に何色の地層となっていくのか

思いを馳せるのも楽しいものです。 

 

 

 

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2/28_3/2 jinen

床 清福

花 西王母

花入 李朝瓶子

 

 

社中に徒然棚をお持ちの方がいらっしゃいました。

徒然棚は裏千家の棚ですが、雛祭りの時節柄せっかくなので、研究をし、2週続けてお稽古をしました。

 

 

2月号の茶道雑誌には、美しい自然の写真が載せられていました。

青磁や織部といった、茶道具が憧れた自然の色。

そして茶室や日本建築の自然との関わりについて書かれていました。

 

 

『自然』という言葉について。

 

通常、これは「しぜん」と発音しますが、「じねん」という読み方があります。

これら2つの意味の違いですが、

日本には古来から「じねん」という読み方があり、

明治以降に「nature」という概念が入ってきた際に、その訳として「しぜん」という読みが使われるようになったのです。

 

「じねん」とは「自ずから然り(おのずからしかり)」ということ。

現在も「自然の成り行き」などという言葉を使ったりしますね。

 

西洋の、つまりキリスト教的世界観における「しぜん」は、野生であり、人間が制御する対象。

それに対し、「じねん」は私達の生きる世界の全てですから、人間そのものも、人工物すらも含まれます。

そしてそれら全てにおいて、人間が制する立場にありません。

この考えは、八百万(やおよろず)の神や、森羅万象全てが信仰の対象であるアニミズムそのものです。

 

四季という形で自然の力を強く感じられる日本。

私たちは古来から自然を制御するのではなく、敬い、畏れ、寄り添う形で生活してきました。

造形・建築でも、色でも自然から知恵を借り、自然に近づこうと試みてきた結果です。

そして何時、何処でも、自然科学では説明のつかない霊力のようなものを感じていました。

 

ものを粗末にすると、川を汚すと、妖怪が来る。バチが当たる。

現代はそういった得体の知れない存在の代わりに、西洋から「エコ」という言葉を取り入れたように思います。

それは「じねん」から「しぜん」への転換とも言えます。 

 

 

「SAVE THE EARTH」

「自然を守ろう」

 

聞こえはいいですが、これはいかにもキリスト教的発想によるものです。

 

「じねん」の立場から見れば

地球や自然を人間が守るという考え自体が実に傲慢、不遜ではないでしょうか。

もちろん、こうした合言葉に基づく具体的な活動を何ら否定するものではありませんが、

ありのままの自然に対する畏敬畏怖の念は常に持ち続けたいものです。

 

 

 

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2/21_23 harmony

床 琴瑟和 大道賛

花 水仙

花入 白酒器

棚 徒然棚

水壷 赤絵祥瑞

棗 金輪寺

茶杓 銘 西王母

 

 

『詩経』に「琴瑟相和す(キンシツアイワス)」という言葉があります。
夫婦の仲がきわめてむつまじいことのたとえで、兄弟や友人の仲の良い場合にも使うそうです。琴と瑟は合奏すると音がよく調和するといいますが、「琴」は身近でも「瑟」とは何でしょうか。

調べてみると、中国に古くからある二十五弦など大型の弦楽器を指すのだそうです。

幕末のジャンヌダルクと言われる新島八重。

命を懸けて戦い、身体が外へ外へと向かっていくと輪郭を見失うこともあるでしょう。

また、「琴」も、中国の代表的な弦楽器で、今の琴とは違い琴柱がないものだそうです。

七弦琴ともいうとのこと。

残念ながら瑟は現存していないそうです。

合奏するとどれほど美しい音色だったのでしょうか。

 

 

お稽古では新島八重の茶人としての側面、そして会津に茶道をもたらした蒲生氏郷について学びました。

『八重のふるさと福島県』のホームページにもまとめられていますのでご覧下さい。

http://www.yae-mottoshiritai.jp/seisin/gamouujisato.php

 

 

 

茶道は自らの全てを一服に集中させることにより、

散らばってしまった自分を元の大きさに整える効果があると私は考えております。

茶の粉と湯を混ぜ合わせることにより身体と心を調和させる、とも言えます。 

 

幕末のジャンヌダルクと言われる新島八重。

命を懸けて戦い、身体が外へ外へと向かっていくと輪郭を見失うことも多かったことでしょう。

八重が晩年、茶道に没頭したくなった気持ちは分かるような気が致します。

かつて安土桃山時代では茶道が戦国武将の間で広まったのはあまりに有名です。

 

 

今の世では戦で命を落とすことはありませんが、

意識が外へ外へと広がっていきがちであるのは同じかもしれません。

先日、社中に出入りされている方が、久しぶりに茶筅を振って驚くほど心が落ち着いたと喜ばれていましたが

茶道のこういった効果についてはもっと研究し、そして広めることができれば、と個人的には考えているところです。

 

 

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2/14_16 calm

床 八風吹けども動ぜず

花 万作 土佐水木

花入 水盤

茶入 尻張 銘 稚児

仕覆 定家緞子

茶杓 銘 東風

寄付 春風の色

 

 

通常、花を入れる際剣山を使うことはありませんが、

床の言葉に合わせ、敢えて生け花のようにしてみました。

 

近年、禅がビジネスでも取り上げられることが増え、

かのスティーブジョブズも生前禅に親しんでいたと言います。

生身の人間関係にインターネットによる交流も加わり、

ストレスの多い現代社会において

心の拠り所、自分の在り方を説く禅に惹かれるのはとても自然なことですが

その中でも今回の「八風吹けども動ぜず」はビジネスマンに好む方が多いのだとか。

因みに、この「八風吹けども動ぜず」の心は、イコール坐禅の心だそうです。

 

 

この言葉は「八風吹けども動ぜず 天辺の月」と続きます。

 

「利・哀」とは、意にかなう、意に反する。

「毀・誉」とは、陰で悪口をいう、陰でほめる。

「称・譏」とは、目の前でほめる、目の前で悪口を言う。

「苦・楽」とは、文字通り苦しい、楽しい。

 

私たちの人生は、いつもこの八風に翻弄されています。

楽しいことがあればはしゃぎ、褒められれば驕り、

悪く言われれば落ち込み、相手を恨んだりします。

 

湖上の月はそういった風が吹く度に輪郭を歪め、形を見失ったりするものですが

天上の月はただ静かに、輝いています。

 

どんな強風にも負けない平常心・不動心を養いたいものです。

 

 

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手製和菓子帖(番外編)―狐―

お正月に仙台銘菓「霜ばしら」を頂きました。 

中の粉は炒ると落雁になるとの説明書きがありましたので

母が初午に因み、狐の形の落雁を作りました。

周りにはきな粉をまぶしてあります。

 

落雁はどうやって作るのか未だに良く知らないのですが

思いがけない方法で作ることが出来、驚きました。

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2/7_9 whipped cream or crescent moon

床 梅が香にたぐへて聞けばうぐいすの声なつかしき春の山里 西行

   坂部青峰筆

花 好文木

花入 手桶型

水壷 志野 宏一作

茶入 膳所焼 菊唐草間道

棗 つぼつぼ 静峰作

茶盌 馬上杯 梶田厚作他

寄付 初午

 

2月9日は初午。

2月11日は建国記念日(紀元節)。

2月12日は菜の花忌。

ということでそれぞれについて勉強しました。

また、十牛図も扱いました。

 

 

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手製和菓子帖(其の十)―下萌え―

完全に独学の和菓子制作も十作品目になりました。

 

今年に入り、社中の森さんから干し柿を頂きました。

家に柿の木があるそうで、そこになった柿から作られたとのこと。

そのままでも十分美味しいのですが、そこからお菓子を作らせて頂きました。

 

干し柿を細かく刻み、白餡と和えます。

時間が経つと柿が餡の中に溶け、きれいな橙色の餡になります。

それを淡く水色で着色した道明寺で包みました。

 

『和菓子の甘さは干し柿をもって最上とする』

つまり、和菓子は干し柿の甘さを超えてはならないと言われています。

ですから今回も極力味の添加を抑え、大切に育てられた柿の甘さを純粋に味わって頂くようにしました。

 

溶けかかる雪の下から、新しい生命力がうっすら顔を覗かせる。

そんな春の息吹を表現したつもりです。

 

節分を終えると立春。

春はもうそこまで来ています。

 

 

 

 

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1/31_2/2 cloud iridescence

床 慶雲五彩生

花 御所車 土佐水木

花入 朝鮮唐津 中島紀義

寄付 子鬼達

茶杓銘 日脚伸ぶ

茶盌 五彩雲(昭和三十三年御勅題)

蓋置 雲鶴之絵 丹山

 

床は今年最初の社中の作品でした。

慶雲は瑞雲とも言われ、吉兆とされています。

 

「古来、天にあらわれた、めでたいしるしの随一のものとさえいわれる」(空の色と光の図鑑)もので

日本ではかつて一度だけこの雲が現れ、年号が改元された程の現象

 

・・・なのですが。

 

科学により様々な現象が解明された現代、

雲が色づくのは彩雲と言われ、太陽の周りに虹のような輪が見られる光環と原理は同じなのだとか。

ほんの少し色づく程度の彩雲は注意していればよく見つけることができるそうです。

ただ、私自身、光環は何度も見かけたことがありますが彩雲は見たことがありません。

 

もっとも、大宝の頃に見られた慶雲はとても鮮やかな、いかにもめでたいしるしに見えるものだったのかもしれませんが。

 

そう考えると幸運の兆候とは、実はよく表れていて、それに気づけるかどうかにかかっているのかもしれません。

 

慶雲は、足元を見ていたらいつまでたっても見つけられません。

まさに、「上を向いて歩こう」ですね。

 

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1/24_26 The moon without the clouds is boring

床 無心大道に帰す 堺南宗寺吹毛軒硯應

花 土佐水木 侘助

花入 竹一重

香盒 交趾柘榴

棗 珠光棗

銘「月も雲間のなきは嫌にて候」

寄付 奈良秋草道人歌二首

菓子 薬師寺土産

 

今週から珠光について学んでいます。

 

高校の文学史でも

「茶道は珠光が開山し、紹鴎を経て、利休が大成した」

と習う、茶祖としてあまりに重要な人物です。

珠光の父は検校。

検校とは盲官の最高位でありますから、茶道と平曲との接点はここから始まったのかもしれません。

 

 

『月も雲間のなきは嫌にて候』

 

「茶」が「茶道」に格上げされたのには、珠光が「禅」の精神を茶に加えたことによるものです。

珠光は一休に禅を学びました。

一休は、先週学んだ大燈国師に強く惹かれた人物で、非常に風変りな僧でありました。

 

道を説き、禅を説くということが嫌い。

もっともらしい人間が嫌い。

抹香臭いのが一番嫌い。

 

(それでいながら弟子達をとても大切にし、今でいうファンも多かったようで

応仁の乱で焼失し、衰退しかけた大徳寺に一休が住持となったことで

浄財がたくさん集まり、寺を救うこととなります)

 

権威や名声をとことん嫌がる一休。

その性格を思うと、珠光のこの名言は一休の言葉と思っても自然な程、

珠光が一休の影響を色濃く受けている様が想像でき、楽しくなります。

 

 

ちなみに、経験談ですが、

この言葉、外国の方にわびさびについて説明するのにとても有効です。

 

装飾を省いた方がいいことは説明できても、

「欠けの美」ついては、そのまま説明しようとしても

日本人ですらなかなか理解し難いものがあります。

そもそも外国では竹すらも身近ではなかったりしますから。

それに比べて月は世界共通です。

 

私は大学でイギリスの先生にこの言葉を紹介したところ

とても分かりやすい例えだと喜ばれました。

 

 

外国の方にも理解できるほど明快なこの言葉は、能楽、蓮歌等、当時の様々な芸術と共鳴し、

中世の文化はこの後発展していくこととなります…。

 

 

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1/17_19 八角磨盤空裏走

床 八角磨盤空裏走

花 水仙(雪折れ)、蝋梅

花入 水仙籠

香盒 お福

茶杓 皇后様御歌「天地にきざし来たれるものありて君が春野に立たす日近し」

 

水仙は、先日の雪で葉が埋まっていたものを掘り出して使いました。

もうすぐ降ってから1週間が経ちますが、未だにあちらこちらに雪が残っています。

 

床は、大燈国師宗峰妙超の言葉です。

八角の磨盤とは、牛やロバを使って回す大きな鉄や石で出来た八角形の磨り臼のこととも、一切のものを破砕するという八角の古代武器とも言われています。

どちらにせよ、重量と破壊力は相当のものであろうと想像できます。

それが唸りを上げて空中を縦横無尽に飛び回るというのですから、

まあとんでもないというか、凄まじい迫力です。

 

 

鎌倉末期 禅宗の興隆がめざましく 教理学を重んじる旧仏教勢力が危機を抱き、天皇に上訴しました。
そして優劣を公開の問答(正中の宗論)で決することにした際、

仏教教理を学ぶことを本旨とする旧仏教側、延暦寺の玄慧に「禅とは何か」と問われ、すかさずこう喝破した大燈国師。

悟りを開いた境地というものは、妄執、我見、煩悩はおろか 有り難ぶった教え、澄まし返した学識さえ 木っ端微塵に打ち砕くのだと。


一代の学僧といわれた玄慧は この応酬に対し二の矢を放つことができず敗退
その後も大燈国師の勝利に終わり 禅宗は興廃にかかわる重大な危機を脱したといいます。

重要な局面で用いられたこの言葉は、
日本禅宗史上 記念すべき句となり 珍重されることとなりました。

 

 

現在、Bunkamuraで白隠展が開催されていますが、

「八角磨盤空裏走」の意味を理解するにあたっては、

言葉そのものを眺めているよりも白隠禅師の描いた大燈国師の絵を見た方が分かりやすいかもしれません。

この眼から発せられるとてつもない迫力は正にこの言葉を表しています。

 

ちなみにこの絵で大燈国師が右手を出しているのは、

十牛図の最後、10番目の「入鄽垂手」の姿です。

悟りの後に、街へ出て、人を導く姿。

実際、大燈国師は1307年、26歳で悟りを開いた後に実に20年もの間、乞食に混じり橋の下で暮らしていました。

 

我々に縁の深い大徳寺を開山したのは1315年。

入鄽垂手に勤められる中でのことだったようです。

 

大燈国師が手を差し伸べて作られた大徳寺。

この絵を見つめていると、

茶道を嗜むからには、禅についてもっと学ばなくてはと自戒させられます。

 

 

 

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1/10_12 初釜「立」

床 松鶴寿 馥峰

花 蝋梅

花入 飛青磁鯉耳

香盒 寿の結び 若林秀

釡 松林地紋尻張 清光

炉縁 七宝繋

棚 真台子

皆具 萌黄金襴 利昇

茶入 鶴首 定一 仕覆 利休梅

茶杓 銘「素聲」

主茶盌 嶋台 桂窯

棗 七福茶器写 一峰

茶盌 萩 大和松雁

茶 小倉山 小山園

主菓子 花びら餅 青柳

器 丸梅盆 象彦

菓子 恵比寿大黒天おみくじ羊羹 米屋

寄付 干支飾

 

 

平成二十五年が始まりました。

例年通り、懐石は社中の持ち寄りです。

「これはどなたの、昨年は何を作って…」

と、話に花を咲かせていました。

 

午後は早速お稽古です。

今年は毎週、一人二回ずつお点前をすることが目標とのこと。

楽しみながら、茶道と親しんで参りましょう。

 

 

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