9/26_28 般若心経

 

床 和敬清寂
花 矢羽芒 蓼 赤水引 雁金草 虎の尾

花入 竹筒

香盒 砧

蓋置 武蔵野

小間/寄付 洋種山ごぼう

 

今回の床は担当の後藤さんが一番好きな禅語ということで書かれました。

 

賭け事の手段であった茶道を世界に誇る総合芸術まで高めたのは

禅の力、

さらに具体的に言えば

「和敬清寂」の精神によるものと言えます。

 

「和」「敬」「清」「寂」

 

それぞれを独立して考えることもできますが、

一連の流れと捉えることもできます。

 

 

昨年の記事「和=宇宙について」にも書いた通り

「和」は宇宙です。

 

例えば大海原に体を横たえた自分を想像します。

宇宙に身を任せている状態。

「自分は何てちっぽけな存在なんだろう」

と思うことは

自分は宇宙を構成している物質の一つに過ぎないと気づくことです。

それ以上でもそれ以下でもない。

はじめ海に横たえた時は波を毎回背中に受け止めていた自分も

次第に波と同化していきます。

その時、人は宇宙にしています。

 

すると、身の回りの全ても、同じように宇宙を構成しているパーツであると考えられるようになります。

自然と、全てを大切に、尊重しようという気持ちが生まれてきます。

人も、動植物も、星も、石も、人工物をもう心です。

 

その結果、

いつの間にか雑念は消え、身体の中を爽やかな風が吹き抜ける如く

実に々しい、晴れやかな自分に気づくことが出来ます。

 

その全てを体感できた後に、

涅槃静(ねはんじゃくじょう=数の最小単位「10-24」)

即ち般若心経における空の境地に至ることが出来ると。

 

 

 

ここのところ、禅、十牛図、般若心経の本を読み漁った結果

和敬清寂について

このように思うようになりました。

間違っていることもあるかもしれません。

「寂」は程遠い存在ですが

これには日々精進するより他ないと思います。

 

 

 

 

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9/19_21 寂

床 宮沢賢治絶筆絶歌

花 萩 数珠玉 千日紅

花入 経筒

大香盒 秋の夜

寄付 宮沢賢治童話集

 

木曜は中秋の名月でした。

次に中秋の名月と満月が重なるのは8年後。

今年は素晴らしい月が見られたところが多かったようですね。

 

そして、土曜は宮沢賢治没後80年の命日でした。

 

そこで、今週のお稽古では宮沢賢治を取り上げました。

賢治が亡くなるまでの3日間を振り返り、各々賢治についての思い出を語りました。

 

花は、中秋の名月に因み、文字通り秋を代表する花、萩と

宮沢賢治に備える数珠玉を経筒に入れました。

 

花巻市の「雨ニモ負ケズ」碑では毎年この日に賢治祭が行われています。

朗読に合唱、劇に踊りと、夜遅くまで続くお祭りは、

今年は晴天に恵まれ屋外で行われたそうです。

さぞや幻想的な一日となったことでしょう。

 

 

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9/12_14 hyper positive

床 空
花 白紫式部 黄秋桜 雁金草

釣花入

香盒 堆朱

 

 

9月9日の重陽の節句に因み、菊の総飾りでお稽古致しました。

ご存知の方も多いかと思いますが、復習です。

 

五節句の一つである重陽の節句。

 

後の四節句は

1月7日 七草の節句

3月3日 桃の節句

5月5日 菖蒲の節句

7月7日 七夕(笹の節供)

と、それぞれ植物の名を冠しています。

そして9月9日は菊の節句です。

 

なぜ「重陽」と言うのか。

五節句の起源である中国では

奇数を「陽」の数、偶数を「陰」の数としています。

縁起が良いとされる「陽」の数の中で一番大きい「9」が重なる日なので、「重陽」なのです。

 

中国ではこの日、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)を袋に入れて丘や山に登ったり、

菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払って

長命を願うという風習がありました。

 

それが日本に伝わり、

平安時代には「重陽の節会(ちょうようのせちえ)」として宮中の行事となり、

江戸時代には武家の祝日に。

 

和菓子の意匠で知られる菊の着せ綿は、日本独自の風習です。

これは重陽前夜、つまり9月8日の夜、
菊の花を真綿で覆って夜露と香りを移しとり、
翌朝、その綿で体や顔を拭うというものです。
そうすれば老いが去り、長寿を保つと信じられていました。
近世になると、白菊には黄色い綿、
黄菊には赤い綿、赤菊には白い綿を使い、
色を変えた小さな綿で蕊(しべ)を作る、という風に、
色々と細かい決まりもできてきたようです。
和菓子のデザインはその決まりに則っているのですね。

 

しかし、旧暦の時代には盛んに行われていた着せ綿も、
新暦が採用されてからは、さすがに9月9日では、
菊の開花には早いでしょうし、夜露も降りないでしょう。
明治時代以降は次第に行われなくなり、
宮中も含めて、記録はあまり残ってないそうです。

今年も横浜では日中の気温31度と、とても着せ綿とは程遠い一日となりました。

 

七草に桃の花、菖蒲と笹は新暦でもタイムリーに用意できますが、

菊だけは難しい。

だから五節句で一番知られていない存在となってしまったのですね。

 

ただ、今では影の薄くなってしまった重陽の節句ですが、

菊は皇室の紋章、日本を代表する花でもあることから

五節句を締めくくる行事として、昔は最も盛んだったといわれています。

 

因みに

新暦に移った現代にしっかり残っている風習もあります。

旧暦の9月9日は現在の10月中ごろ。

この時期に行われる祭りが

「長崎くんち」や「高崎くんち」で知られる「お九日(くんち)」祭りです。

 

半袖を着ている今ではあまり実感できない重陽の節句ですが

実際の自然に従って

おくんち祭りの頃に、改めて重陽の節句に思いを馳せることといたしましょう。

 

 

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9/5_7 grenade

床 心清茶味香 紫野寛道

花 玉あじさい

花入 木瓜花入 芳光

香盒 柘榴 喜山

寄付 柘榴 勅使河原蒼風

 

今月、来月と、社中では2人のお孫さんが誕生される予定です。

そこで、今週のお稽古では安産祈願から鬼子母神を取り上げました。

 

鬼子母神とは、お休みになられた方と復習の為載せておきます。

 

 

鬼子母神様はお釈迦様のお説きになられた「法華経」というお経のなかに説かれる神様です。お名前をサンスクリット語(古代インドの言語)でハーリティー”(Hariti)といい、これを訳して“鬼子母神”または音訳して、“訶梨帝”(かりてい)などと呼ばれます。

 

鬼子母神様には、ひとつの伝説があります。

鬼子母神は般闍迦(Pancika パーンチカ)と云う神様の妻であるとても美しい女神で、500人ものたくさんの子どもがいました。鬼子母神はこの愛する子供たちを育てるため人間の子供をさらってなんとこれを食べていたのです、人間達は子供たちをさらわれることを恐れ苦しみ、お釈迦様に相談しました。 

 

お釈迦様は一計を案じ、鬼子母神がもっとも可愛がっていた一番下の子供の姿を神通力によって隠してしまいました。鬼子母神は嘆きそして悲しみ、必死になって世界中を気も狂わんばかりに探し回りましたが、勿論見つかるはずもなく、途方に暮れついにお釈迦様の元に行き、自分の子供が居なくなり見つからないことを話し、助けを求めました。

 

 お釈迦様は鬼子母神に「500人の子供の内、たった1人居なくなっただけで、おまえはこのように嘆き悲しみ私に助けを求めている。たった数人しかいない子供をおまえにさらわれた人間の親の悲しみはどれほどであっただろう。その気持ちがおまえにも今わかるのではないか?」とはなし、「命の大切さと、子供が可愛いことには人間と鬼神の間にも変わりはない」とおしえられ、子供を鬼子母神の元に返しました。

 

 鬼子母神はお釈迦様の教えを受け、改心し以後は全ての子供たちとお釈迦様の教え、またお釈迦様の教えを信じる全ての人たちを守ることを誓いました。これ以降、鬼子母神は鬼ではなく仏教・法華経と子供の守り神となりました。

 

 「鬼子母神様って?」より引用

 

 

 

仏像や絵画の鬼子母神には

「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる入谷の真源寺に代表されるように

恐ろしい形相で合掌する鬼女型と

優しい顔で微笑み子供を携える天女型がありますが、

天女型の鬼子母神は右手に柘榴を持っています。

 

柘榴は1つの実の中に沢山の種子が存在することから

子孫繁栄を表す縁起の良い果物「吉祥果」として知られています。

中国だけでなく、ヨーロッパの宗教絵画などでも、女の人が柘榴を持っていることがあります。
この場合の柘榴もやはり、子孫繁栄の象徴です。

実際、柘榴の中でも黒柘榴と呼ばれる、イランの一地方でのみ育つ品種には

女性ホルモンの一種であるエストロンが含まれており、薬用として珍重されています。

 

鬼子母神は、その子孫繁栄の柘榴を手に持つ、唯一の仏像です。

 

 

母子共に健康で、元気な赤ちゃんが生まれます様に。

 

 

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8/29_31 思ひ草

床 窓下有清風
花 千日紅 京風車(日日草) 竜胆

花入 竹舟

 

今週は葉蓋を扱いました。

花入は、鎖を波に見立てました。

 

床に掛けた、中学二年の生徒さんの書が

とても清々しく、生命力を感じる筆でしたので、

ギャラリーをご覧下さい)

それに相応しい花をと思い、赤い花を三種入れました。

 

その中で今回取り上げるのは竜胆です。

この品種は「桃ずきんちゃん」という、ネーミングに娘が一目ぼれして園芸屋さんで購入したもので、

淡いピンク色のものでしたが

本来は皆様ご存じの通り、濃い青色の美しい花です。

 

この澄み切った秋の空のように綺麗な花が何故「竜」の「胆」と書くのか、

色形からはあまり想像が出来ずに前から気になっていました。

 

調べてみると、

この竜胆の根や根茎は健胃薬として古来から活用されており、

エジプトでは紀元前180~67年に、ペストで苦しむ民を救ったという話もあります。

 

イリュリアの王であったジェンテウスは、領民がペストに苦しめられたので、山野にわけ入り、神に祈ったという。

「どうか特効薬をお教え欲しい」そう言って矢を放つと、リンドウ(竜胆)の根にささった。

それで薬用に用いたという。リンドウ(竜胆)の英名「GENTIANA」は、王ジェンテウスの名前から来てる。

 

ところがこの薬草、咬むととにかく苦いのだそうです。

中国で、同じく漢方として使われた熊の胆よりさらに苦いというので

竜の胆嚢という意味の竜胆(りゅうたん)の名が付けられ、

日本ではその竜胆「リュウタン」が転訛してリンドウ(竜胆)と呼ばれるようになった

…ということだそうです。

 

日本でも薬草としての歴史は古く、

この「りんどう」の呼び名が中国から入ってくる前は、

えやみぐさ(胃病み草/疫病草)とも呼ばれていたそうで、

平安時代に書かれた 「和名抄」 に登場しています。

万葉集には、思ひ草として書かれているのが今の竜胆であろうと言われています。

 

いくら胃に良いからといって、

胃病み草よりは思ひ草の方が可憐で素敵ですね。

 

思ひ草にはこんなエピソードもあります。

 

平安時代末期、源頼朝が狩りをしている時、花を持っている1人の少女に出会った。

頼朝が少女に花の名を尋ねると、

少女は万葉集の「道の辺の尾花がしたの思ひ草 今さらさらに何をか思はむ」

という古歌を引いて

「秋の野の 尾花にまじり 咲く花の 色にや恋ひん 逢ふよしをなみ」

と詠み、

「思ひ草と申します」

と答えた。

この少女が後に頼朝の妻となる北条政子だった。

この竜胆が後に源氏の主な家紋「笹竜胆紋」として伝わるようになった。

 

源頼朝は竜胆との縁が深く、いまも鎌倉市では市章に竜胆を用いています。

頼朝自身は源氏の棟梁として存在していたので、家紋があったわけではありません。

竜胆紋を用いたのは少し後のことになります。

ただ、竜胆がこの二氏にきわめて関係が深いので、源氏の氏紋・代表紋とみている人も多いそうです。

 

 

色形から紋になり、茎や根は薬になり、

日本に古くからある花は調べれば調べるほど奥が深いものですね。

 

 

 

 参照・引用元

リンドウの花物語&花言葉

http://hanabatake.moo.jp/monogatari/aki/ronndou.htm

花々のよもやま話

http://plumkiw948.at.webry.info/201209/article_17.html

家紋の由来_竜胆紋

http://www.harimaya.com/o_kamon1/yurai/a_yurai/pack2/rindo.html



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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8/8_10 茶カフキその六

床 追涼風 大亀賛

花 朝顔 露草

花入 曽呂利

 

今回は、天正15年、利休が藪内紹智を訪ねた際に唐銅の花入に姫瓜を入れた逸話を学びました。

それに因み、花入れは敢えて曽呂利を選び、

姫瓜と同じ弦植物の朝顔と、露草を入れました。

 

 

毎年この時期に行っている茶カフキ。

茶カフキのルーツについては簡単に去年のブログで述べています。

 

何故「カフキ」と片仮名表記なのか、質問がありましたが

闘茶を茶道に取り入れた、他の点前とは一線を画したものとして

砕けた表現の際用いられる片仮名が採用されたのであろうと思います。

 

 

お茶は点て方によって味が大きく変わりますから、

お点前を担当された方は緊張されたかもしれません。

それでも日頃の鍛錬の結果でしょうか、今回は全て正解された方が多くいらっしゃいました。

全問正解の方、おめでとうございました。

外れてしまった方も、皆様楽しんで頂けたようで良かったです。

 

特に土曜は、2名の方が入門され、

とても和気藹々と盛り上がったとか。

 

新しいお仲間が増えるとお稽古が活気づきますね。

お互いを敬い、高めあいながら、楽しく歩んでいきたいと思っております。

今後とも末永く宜しくお願い致します。

 

 

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8/1_3 棘

花 鷺草、棗、谷渡木

 

2週続けて四滴のお稽古です。

 

今回の3種の花について。

 

右奥の丸い花は名前が分からず、

調べるのに随分時間がかかりましたが、

「谷渡木(タニワタリノキ)」でした。

中国や、ベトナムに多く分布し、文字通り谷間に好んで生えるそうです。

この花には面白い別名がありまして、

「人工衛星の木」

と言うそうです。

枝先に一輪の花を咲かせ、

その花も四方八方に花柱を出している様は、

正に人工衛星ですね。

 

 

次に棗です。

他の植物より遅く、夏に芽を出すことからナツメと呼ばれています。

床にも、出てきたばかりの「夏芽」を中心に入れてみました。

(鷺草の横、黄緑色の葉がお分かり頂けますでしょうか)

 

お茶道具の棗はこの木の実に似ていることが由来です。

棗という字は棘という字を縦に並べ替えたように見えます。

実際に、同じトゲという意味を持っています。

本当に、細かい棘が枝に沢山ついています。

 

険しい人生を表す

「いばらの道」

という言葉があります。

何となく棘のある薔薇を連想されがちですが

これは具体的には棗の木のことなのだそうです。

棗の根が伸びて歩道の間に新しい株を出し、それが棘だらけで手に負えない様子が語源です。

 

しかし、それほど厄介でも歩道に生やしているのにはちゃんとその価値があるからなのです。

 

棗の実を乾燥させたものは、漢方では「大棗(タイソウ)」としてとても一般的です。

市販の漢方を使った胃腸薬にも、この大棗が配合されています。

日本最古の薬物書『本草和名』にも登場する程古くから親しまれている薬草なのです。

また、インドの伝統医学アーユルヴェーダでも、ナツメの実が治療に使われているそうです。

その他にも、中国や韓国では菓子や甘味料としても広く用いられているそうです。

 

 

鷺草は、寄付にも飾りました。

社中、律子さんのお母様が墨絵で描かれた

富士山と共に。

お住まいの茅ヶ崎からの景色なのだそうです。
鷺草も絵の中の鳥と一緒に羽ばたいて嬉しそうです。

 

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手製和菓子帖(其の十五)―利休白玉―

毎回、簡単な和菓子のみを作ってきましたが

その中でも群を抜いて簡単に作れるものが、今回の利休白玉です。

 

豆腐と、白玉粉を耳たぶの固さになるように混ぜ、

沸騰した湯に入れ、浮いたら冷水にとる。

 

たったそれだけです。

 

・・・なのですが、

以前作ったときは豆腐の香りが広がったのですが、

今回は豆腐らしさが感じられませんでした。

 

原因は不明ですが、侮ってはいけませんね。

 

不明といえば、何故「利休」白玉と呼ぶのかも調べたのですが分かりませんでした。

白玉椿と関係しているのでしょうか。

 

 

 

 

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7/25_27 芙蓉峰

床 白雲抱幽石
花 遠州木槿、鉄線、藤空木、山牛蒡、矢羽薄

花入 宗全籠

水壷 ヤンリーパオ

茶杓銘 仙客

 

「白雲抱幽石」

床は、白雲に包まれる山上の侘び住まいの穏やかさを表しています。

入道雲のイメージからでしょうか、夏にかけられることの多い禅語ですが

社中の海老原さんより富士山の山頂で出された暑中見舞いを頂きましたので

軸のイメージに合うと思い、寄付に飾らせて頂きました。

ギャラリーをご覧下さい)

また、富士山の別名から、同じ芙蓉科の遠州木槿を入れました。

 

 

 

木曜は、三葉会でお世話になっている池澤先生と、gallery hechiの店長でいらっしゃる清水さんがお見えになりました。

hechiオリジナルの、個性的かつ上品なタイ織物製品を

皆ではしゃぎながら沢山見せて頂きました。

そしてお二人の美しいお点前も拝見し、勉強させて頂きました。

美味しいスイーツ等、お気遣いを頂きまして有り難うございました。

 

 

土曜は、即席お人形教室。

とうもろこしの葉やひげを使い、姉様人形を作りました。

同じ作り方でもそれぞれ個性が出て面白いですね。

 

 

茶道教室でありながら臨機応変に

(行き当たりばったりとも言います)

毎週様々なイベントが起きるのが、乙亥会です。

 

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手製和菓子帖(其の十四)―水饅頭―

夏らしいお菓子を、ということで今回は水饅頭を作りました。

作り方は単純なようですが、

木曜と土曜では固さが異なってしまいました。

葛の涼しい食感の為に、ひたすら熱気と戦い

材料を混ぜていく作業にもコツがあるようです。

 

 

 

木曜はアガーを使った水菓子も試作しました。

完全に思いつきで作った為、柔らかくて食べづらいものになってしまい大変失礼致しました。
お蔭でアガーという粉の特性が少し分かったような気がしますので

今後の糧にしていきたいと思います。

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7/18_20 滾→侘

床 花/老少不定

小間 藪茗荷他

花入 肥後 上野窯 十三代浩平

茶盌 細川護熙 黒楽 小井戸

 

先週に続き、今週も手桶と釣瓶のお点前を行いました。

 

床は、5月にお稽古に復帰された宇井さんのお母様が描かれた花の絵と、

ご本人の筆です。

宇井さんは平成六年から二十年間、禅語や作品を書かれてきました。

乙亥会として発足する前からお稽古に来られていたので、

禅語を一覧にまとめると、そのままお教室の歴史を振り返るようです。

 

お稽古では、細川忠興をお勉強しました。

それに合わせて、

宇井さんと同じく長年乙亥会を引っ張って下さっている松井さんにお茶盌をお持ち頂きました。

細川忠興の子孫である細川護熙作の2点。

楽茶碗は、所謂黒楽と言われるものとは風合いが異なり、静かに枯れた色味がとても上品でした。

小井戸も、優しい佇まいと落ち着いた梅花皮から、細川家の侘びについて想像が膨らみました。

 

 

そして

今回お勉強した細川忠興(三斎)。

慶長7年に小倉城の初代藩主となるのですが、

その際城のある豊前に招かれ、窯を開いたのが高田焼上野窯。

小間で初使いした花入は、その上野窯の十三代作です。

(詳しい解説は高田焼のHPに載っています) 

 

 

 

 

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7/11_13 短冊

床 短冊飾

釣瓶

棗 長刀鉾

茶盌 辰砂馬上杯

茶杓 銘 まつりばやし

花 祇園祭

花入 北山杉

 

 

先週までの短冊箱のお稽古で

皆様が書いてこられた作品を床に飾りました。

作品を一覧にまとめながら、今年は特に力作揃いだと思っておりましたが、

句歌の名人であられた小林宗離さんのことを想われて書いたかたが多くいらっしゃったとのこと。

 

この題材を、小林さんならどう詠むだろうか。

どんな語句を選ぶだろうか。

 

私自身も、自然と小林さんの昨年の作品等を思い返していました。

その結果、二十四年度と比べても、

それまでももちろん素敵な作品ばかりでしたが、

それに増して、ことばの美しく、情景の浮かぶ作品が増えたように思います。

 

実際に小林さん程の作品は詠めなくても、

私たちが歌を詠む時の道標になって下さっています。

これからも、天国の小林さんに添削をして頂く気持ちで作品を詠んでいければと考えております。

 

 

それぞれの6月。

名前を伏せてご紹介します。

 

 

平成廿五年度水無月作品集

 

いそいそと茶道へ向かう三ツ池路色も賑やう紫陽花のはな

―目にとめて祈りしアジサイ今年よりカメラも向けん絵にも描かん

 

越の風早苗に我に吹きわたる 

目にまぶし我にほほ笑む新芽の葉

天空に香るコーヒー格別うまし

絶え絶えのいきで登れば富士の山

山道の隣りの渓流輝きて

分水嶺多摩川荒川富士川のそのちいささを富士が見守る

山道に迷ったオジサン良い天気カエルのようなハルゼミの声

ホタル飛ぶそっとつかまえ手のひらにそのままはわせうちわにとめる

山頂や親子三人初登山シャクナゲの花冷たい湧水

孫たちと父の日兼ネて食事会還暦祝う楽しむ家族

シャボン玉美月上手にふわふわと色とりどりに風に吹かれて

試練の日空手に励ム母と子ハ梅雨にも負けズ体はつらつ

湧き水のひびき四方より能舞台

早乙女を迎へ清けし乙亥会

帰り道アゲハ蝶と雨宿り

店先に並ぶスイカでドラマー気取り

梅雨雲のちぎれて遠し航空機

まぶしさに影伝い行く梅雨の晴

山背吹くリヤスの岸は悠々と

梅雨の朝耳を澄ませば晴れの音

天乃川煌く星を跳び越えて我が背のもとにむかふこのとき

風が吹き梢もそよぐ八幡宮我が身も浄む夏越の祓

庭先の雨に紫映えわたる

カルガモに親の背追いし巣立ち待つ

あるがまま山アジサイにうるおいて

新しきことを始めん夏の日に風にふかれて思いつくまま

ふる雨にこころのうちは語らない華やかな傘さして歩かん

枇杷たわわ烏つつきて熟を知る

庭園のサツキの散りははかなくも泉の石のたくましさかな

夏来たりサザン復活元気でるお祭りさわぎ茅ヶ崎ライブ

日本一富士山ながめお茶をのむ世界遺産に登録うれし

あお柿や育ち盛りの児と四つ

長谷寺へ参りて傘のしずく落ちみあげたたずむ紫陽花の風

富士山世界遺産の声かかり宝来山も微笑みかわし

多摩川に群生していた月見草今懐かしく刺繍にこめて

九輪草羽鳥湖からの贈り物

焼けた肌麦わら帽子と蝉の声眩しさ残る父の微笑み

風涼しふわり蛍の子守唄

梅雨晴に小傘開いて駆け出す子

ソラハレテコボレルエミノアジサイ花

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7/4_6 金銀砂子①

 

七夕に向けて、今年も様々な飾りを吊るしました。

主に切り紙の手法を用いたのですが、

それぞれの飾りには意味があるので、

今回は一つずつ紹介します。

 

 

 

折り紙をじゃばらに折って切り抜く文様。

 

左上『鱗』

魚の鱗とも、蛇の鱗とも言われ、世界各地でみられる文様です。

能や歌舞伎では蛇の化身の衣装として使われることから、

蛇年の今年ならではの飾りとして作りました。

 

右上『七宝繋ぎ』

円を1/4ずつ重ねていく文様。

円が無限に連鎖していくことから、

平和、円満、子孫繁栄等を表す吉祥文様の一つとして定着しています。

 

左中央『青海波』

昨年12月の花の式での解説と重複しますが、

末広がりでおめでたい文様として有名な青海波は、

ペルシャから中国を経て日本へと伝わったものです。

日本ではこの青海波の文様が、
穏やかな海をあらわすものとされ、
海がもたらす恵をよび起こす縁起の良い文様とされるようになったと同時に、
海が無限の広がりをあらわすことから、
「人々の幸せな暮らしがいつまでも続くように」という願いも込められています。

 

右中央『籠目』

竹籠の網目を文様にしたもの。

正三角形を上下に重ねた形は邪を払う力があるとされ、

魔よけとして使われていました。

 

下『麻の葉』

麻はとても丈夫で、すくすくとまっすぐに伸びます。

ですから日本では昔から、この植物にあやかろうと、

麻の葉文様の産着を赤ちゃんに着させる習慣があります。

 

→金銀砂子②へ

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7/4_6 金銀砂子②

紙を何等分かに折ってから切り抜くもの等。

 

上『櫛』

江戸時代に流行した市松模様の櫛で、

黒々とした豊かな髪、美しさへの願いが込められています。

 

中央左『三つ鱗』

先ほどの鱗紋と同様、蛇を表すとされます。

音楽、芸事を司る弁財天の文様でもあります。

 

中央右『撫子』

万葉集や枕草子から登場し、今では女子サッカーで有名ななでしこ。

撫でる様に愛しい我が子という意味から、清楚で芯のある「大和撫子」へ。

そう育って欲しいと願う親の気持ちです。

 

下左『三つ巴』

巴の文様の起源は、弓を射る時に使う鞆を図案化したもので、もとは鞆絵であるという説や、

勾玉を図案化したものであるなどの説がありますが、

やがて水が渦を巻くさまと解釈されるようになり、

平安末期の建物に葺かれた軒丸瓦などに火災除けとして、巴紋を施されるようになりました。

その後、八幡神社の神紋として尊重されるようになり、

神事である祭りに使われる太鼓に描かれるようになりました。

 

意味は魔除けや防火、森羅万象を司る神々の霊妙なる働きを具体的な形として表したものと言うこともできると思います。

 

下右『三つ雁金』

雁金は、「よい知らせを運ぶ」縁起の良い鳥と考えられていました。

群れを成して飛ぶ三つ雁金は、絆を象徴しています。

 

中央『紙衣』

そもそも現在の七夕は、

 

(1)もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」
(2)おりひめとひこぼしの伝説
(3)奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」

この3つが合わさったものと言われています。

 

乞巧奠は、中国の行事で7月7日に織女星にあやかって

はた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする風習から生まれました。

庭先の祭壇に針などをそなえて、星に祈りを捧げる、というものです。

 

やがてはた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになったのですが

紙で作られた着物は、裁縫の上達を願うものとして、

七夕飾りとしては古くから存在する、一番正統派なものと言えます。

 

→金銀砂子③へ

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7/4_6 金銀砂子③

 

その他にも、

海からの恵みを表した『大漁屋形船』

(下に魚が沢山釣れているのが見えますでしょうか)

 

 

 

古来からおめでたい魚とされ、

金運の上昇を表す金魚

娘の書いた短冊も飾りました。

 

何も指示せず、自由に書かせたのですが、

一応それぞれイメージがあるようで、

「しゃーしゃー」「てんてん」「きらきら」「パパ」等

口に出しながら真剣に筆を動かしていました。

 

また、七夕飾りではありませんが、

乞巧奠では、織姫と彦星が渡る鵲の橋に見立てて琴を飾ったということだったので

社中でお琴の先生をされている方にお琴を弾いて頂きました。

娘も教えてもらい、大満足の様子でした。

 

 

 

来年はどんな七夕飾りになるでしょうか。

今から楽しみです。

 

(是非ギャラリーもご覧下さい)

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