8/25 第五回親子でお抹茶を楽しむ会


床  杓底一残水 上田義山
花  朝顔葉
花入  蛇籠
脇床  団扇香盒 神代杉翡翠蒔絵
風炉先 簾
棚  長板
水壷  あさがほ花
茶入  籠棗 鶺鴒蒔絵 星山造
茶盌  佐々木硝子
替  粉引 祭図
茶杓  銘 東雲 宗敦作
建水  餌畚
蓋置  引切 孝子作
茶  小倉山 小山園
菓子  水ようかん 澤村美保作
数茶碗  平六種



半年に1回ほどの間隔でumiのいえにて茶会を開かせて頂いてまいりましたが、今回で5回目となりました。

 

夏の席は日頃の暑さを忘れて涼を味わって頂くが目的の一つとなります。

昨年のテーマは「夏の海」でしたが、

今年は川の清々しさを感じて頂きたく、席を設えました。


香盒や棗に水鳥の描かれたものを選び

花は朝顔の葉を水の流れに見立てました。


花入に朝顔の葉のみを入れた理由は

水壷を朝顔の花にしたからです。

どんな造形も、自然の花の美しさには適いません。

本物の朝顔があると水壷に勝ってしまうので葉のみにしました。



 

お菓子は、今回も食育講座の澤村先生にお作り頂いた水羊羹。

朝顔の葉の上に乗せました。


先生には、水羊羹ということしか伺っていなかったのですが

寒天と小豆が2層になっていて、小川の風情を感じ取って下さったお客様もいらっしゃいました。


いつもながら、自然の甘さを引き出した、大変上品なお味で

1~2歳の小さなお客様もパクパクと夢中で召上っていました。



床は「杓底一残水」

曹洞宗大本山である永平寺の正門、石柱に刻まれている言葉です。

「杓底(しゃくてい)の一残水(いちざんすい)」と読みます。

 

茶道では、茶を点てる際、湯杓(柄杓)で湯を茶盌に注ぐのですが

全てを注ぐのではなく、少し残して釜に戻します。

その所作は杓底一残水の心に基づくと言われています。

 

曹洞宗の開祖である道元禅師が、日頃仏前にお供えする水や洗面に使われる水を谷川で汲む際、

必ず柄杓半分の水を川に返していたそうです。

 

川の水は豊かで枯渇するものでもありません。

しかしどんなに水が沢山あっても一滴の水も粗末にしないのが禅の考えです。

たとえ自分の柄杓に掬ったとはいえ、水は自分だけのものではないからです。
柄杓の水を少し残して川に返すことで、その水を下流の多くの人々も受け止めることが出来ます。

 

そして、これは単に水を大切に、というメッセージではありません。

 

「今自分がここに生きていて何か得たものがあるならば、どんな小さなことでもよいから、それを人のために伝えていきなさい」

という教えなのです。

 

umiのいえで、毎日様々な講座を開かれている先生やスタッフの方々

そして

育児に勤しまれている全てのお母様方・・・

 

皆様は意識せずとも、日々、杓底一残水を実践されていると言えましょう。

ですから、いつかこの言葉を、umiの茶会で掛けたいと考えていました。

今回ようやくそれが叶いました。

 

 

この禅語には続きがあります。

 

杓底一残水

汲流千億人

 

流れを汲む千億人。

 

道元の時代はおろか

現在世界の人口でさえ70億人と言われていますので

千億人には到底届きません。

でも、私たちの子供の代、その次、また次・・・と思いを馳せれば

千億人にも届きます。

 

 

私たちがしていることは

柄杓に残った水を川に戻すくらいの些細なこと。

 

それでもこの行いが、周りの人たちや、次の世代にまで繋がっていくのでしょう。

 

自分が頂いたものを、大切に、丁寧に伝えていきたいですね。

 

 

 

皆様、有難うございました。