5/15_17 子規

床 松樹千年翠

花 卯の花

花入 舟徳利

寄付 茉莉花 鳰の浮巣

 

 

木曜のお稽古では平曲の鈴木まどか先生にお持ち頂いたお菓子「羽衣」が

床の「松樹千年翠」に丁度相応しいということで

松の菓子器に乗せ

三保の松原に見立てました。

その名の通り

フワフワと軽やかでとても美味しく頂戴致しました。

 

 

さて

この時期の茶杓に使われる銘の一つに

「一声」というものがあります。

これは誰の声かと言いますと

ほととぎすなのだそうです。

 

木隠れて茶摘みも聞くやほととぎす

 

と芭蕉も詠んだように

夏の到来を表す鳥として古くから親しまれてきました。

 

ほととぎすにどのような漢字をあててきたかは

以前の記事で紹介した通り、

卯月鳥や早苗鳥などがありますが、

他にもあやめ鳥や田長(たおさ)鳥といった呼び名もあります。

いかにも、この季節の鳥といった名前ばかりですね。

 

中でも卯月鳥の通り

今回の床の花、卯の花とはとても相性が良く、

唱歌「夏は来ぬ」でも

 

卯の花の匂う垣根に時鳥早も来鳴きて忍音もらす夏は来ぬ

 

とセットで歌われています。

 

卯の花とほととぎすの組み合わせといえば

忘れてはならないのが

明治を代表する文豪の一人で、

前回の記事で扱った夏目漱石とも親交の深かった、正岡子規です。

 

正岡子規の「子規」とは、ほととぎすのことなのです。

子規がこの名前を名乗るきっかけは明治22年。

喀血した22歳の時です。

 

ほととぎすは赤い口を開けて鳴くので

その様子が結核患者の血を吐くのに似ていることから

「啼いて血を吐くほととぎす」

と言われている程、結核患者の代名詞でした。

 

子規は、血を吐き、肺結核との診断を受けると

 

卯の花をめがけてきたか時鳥

 

卯の花の散るまで鳴くか子規

 

と詠みます。

 

診断を受けたのは

ちょうど今の時期、5月のはじめだったのですね。

 

子規は

卯の花を卯年生まれの自分に

ほととぎすを肺結核に

それぞれ重ねたのです。

 

そして、自らを子規と名乗るようになりました。

それにはどれほど大きな覚悟があったことでしょう。

 

22歳の若さで死に至る病に侵されていると知った時の絶望は量り知れません。

しかしそれを全て受け入れ、自分の内にも外にも知らしめ、

病とともに生きていくという決意が

「子規」の名前には込められているのですね。

 

うさぎの耳の形をした可憐な卯の花に

若き天才俳人の強く儚きを見ました。