床 他不是吾
花 五色椿
他不是吾(たはこれわれにあらず)
他人は自分ではない。
一見、そんなもの当たり前ではないか、と突っ込みたくなるようなシンプルな禅語です。
ただ、この言葉は我々現代人にとって忘れがちな真理をついています。
日本曹洞宗の開祖、道元禅師が、中国の天童山で修行中の話。
一人の老いた僧が、仏殿の前で椎茸を日に干していた。
杖にすがって、やっと身を保っている様子で、
しかも頭には笠もかぶらず、夏の暑い陽ざしが照りつけ、
敷瓦も焼き尽きるような天気だった。
老僧の額からは、汗が流れ落ちるが、一生懸命に椎茸を干し続けて居る。
見るからに苦しそうだった。背は弓のように曲がり、眉は鶴のように白い。
禅師は大変気の毒に思い、老僧の年を聞いた。
「六十八歳」という。
何故、下働きの寺男を使わないのかと言うと
「他は是れ吾にあらず」と
ピシャリと言われた。
自分が眠くて仕方のない時、誰かが寝たからといって自分の眠気が解消されないことは誰でも分かっています。
空腹の時も同じです。
それなのに
テレビのニュースや、インターネットの映像を見て、その現場を見た気になっていませんか?
観光地に行かず、そこのお土産をお取り寄せしただけて満足していませんか?
一日の半分以上も子育てをプロに任せているのに、自分が100%育児もこなしているような錯覚に陥っていませんか?
便利な世の中です。
代行サービスの発展は目覚ましいものがあります。
中にはお遍路や、お墓参りの代行まであるそうですね。
ただ、他人の行ったことは決して自分が行ったことにはなりません。
自分に与えられた課題を他人に解いてもらっても何の役にも立たないのです。
結果さえ良ければと、過程を軽視すると、
必ずそのツケが回ってきます。
私自身、先日初めて車検の手続きを行う際、あまりに知らないことばかりでとても苦労しました。
いつも自分が乗る車なのに、それまで夫に任せきりにしていたのがいけなかったのです。
自分のやるべき事は、きちんと自分が受け止めてやりましょう。
自戒の意味も込めて。
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