9/26_28 般若心経

 

床 和敬清寂
花 矢羽芒 蓼 赤水引 雁金草 虎の尾

花入 竹筒

香盒 砧

蓋置 武蔵野

小間/寄付 洋種山ごぼう

 

今回の床は担当の後藤さんが一番好きな禅語ということで書かれました。

 

賭け事の手段であった茶道を世界に誇る総合芸術まで高めたのは

禅の力、

さらに具体的に言えば

「和敬清寂」の精神によるものと言えます。

 

「和」「敬」「清」「寂」

 

それぞれを独立して考えることもできますが、

一連の流れと捉えることもできます。

 

 

昨年の記事「和=宇宙について」にも書いた通り

「和」は宇宙です。

 

例えば大海原に体を横たえた自分を想像します。

宇宙に身を任せている状態。

「自分は何てちっぽけな存在なんだろう」

と思うことは

自分は宇宙を構成している物質の一つに過ぎないと気づくことです。

それ以上でもそれ以下でもない。

はじめ海に横たえた時は波を毎回背中に受け止めていた自分も

次第に波と同化していきます。

その時、人は宇宙にしています。

 

すると、身の回りの全ても、同じように宇宙を構成しているパーツであると考えられるようになります。

自然と、全てを大切に、尊重しようという気持ちが生まれてきます。

人も、動植物も、星も、石も、人工物をもう心です。

 

その結果、

いつの間にか雑念は消え、身体の中を爽やかな風が吹き抜ける如く

実に々しい、晴れやかな自分に気づくことが出来ます。

 

その全てを体感できた後に、

涅槃静(ねはんじゃくじょう=数の最小単位「10-24」)

即ち般若心経における空の境地に至ることが出来ると。

 

 

 

ここのところ、禅、十牛図、般若心経の本を読み漁った結果

和敬清寂について

このように思うようになりました。

間違っていることもあるかもしれません。

「寂」は程遠い存在ですが

これには日々精進するより他ないと思います。