9/12_14 hyper positive

床 空
花 白紫式部 黄秋桜 雁金草

釣花入

香盒 堆朱

 

 

9月9日の重陽の節句に因み、菊の総飾りでお稽古致しました。

ご存知の方も多いかと思いますが、復習です。

 

五節句の一つである重陽の節句。

 

後の四節句は

1月7日 七草の節句

3月3日 桃の節句

5月5日 菖蒲の節句

7月7日 七夕(笹の節供)

と、それぞれ植物の名を冠しています。

そして9月9日は菊の節句です。

 

なぜ「重陽」と言うのか。

五節句の起源である中国では

奇数を「陽」の数、偶数を「陰」の数としています。

縁起が良いとされる「陽」の数の中で一番大きい「9」が重なる日なので、「重陽」なのです。

 

中国ではこの日、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)を袋に入れて丘や山に登ったり、

菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払って

長命を願うという風習がありました。

 

それが日本に伝わり、

平安時代には「重陽の節会(ちょうようのせちえ)」として宮中の行事となり、

江戸時代には武家の祝日に。

 

和菓子の意匠で知られる菊の着せ綿は、日本独自の風習です。

これは重陽前夜、つまり9月8日の夜、
菊の花を真綿で覆って夜露と香りを移しとり、
翌朝、その綿で体や顔を拭うというものです。
そうすれば老いが去り、長寿を保つと信じられていました。
近世になると、白菊には黄色い綿、
黄菊には赤い綿、赤菊には白い綿を使い、
色を変えた小さな綿で蕊(しべ)を作る、という風に、
色々と細かい決まりもできてきたようです。
和菓子のデザインはその決まりに則っているのですね。

 

しかし、旧暦の時代には盛んに行われていた着せ綿も、
新暦が採用されてからは、さすがに9月9日では、
菊の開花には早いでしょうし、夜露も降りないでしょう。
明治時代以降は次第に行われなくなり、
宮中も含めて、記録はあまり残ってないそうです。

今年も横浜では日中の気温31度と、とても着せ綿とは程遠い一日となりました。

 

七草に桃の花、菖蒲と笹は新暦でもタイムリーに用意できますが、

菊だけは難しい。

だから五節句で一番知られていない存在となってしまったのですね。

 

ただ、今では影の薄くなってしまった重陽の節句ですが、

菊は皇室の紋章、日本を代表する花でもあることから

五節句を締めくくる行事として、昔は最も盛んだったといわれています。

 

因みに

新暦に移った現代にしっかり残っている風習もあります。

旧暦の9月9日は現在の10月中ごろ。

この時期に行われる祭りが

「長崎くんち」や「高崎くんち」で知られる「お九日(くんち)」祭りです。

 

半袖を着ている今ではあまり実感できない重陽の節句ですが

実際の自然に従って

おくんち祭りの頃に、改めて重陽の節句に思いを馳せることといたしましょう。