22日。社中7名で浜松に行ってきました。
かつて、京都の都から近い琵琶湖を近江、遠い浜名湖を遠江と呼んでいました。
その地域一体は遠の州。
現在でも遠州の名はあちこちに残っています。
因みに、この地で普請奉行として、駿府城修築の功により、
従五位下遠江守に任じられたのが、小堀遠州です。
遠州という通称はその官位からきたものだったのです。
その小堀遠州作で、東海一の名園と言われるのが龍潭寺庭園。
訪れてみると、庭園そのものの美しさは勿論、
前庭の沙羅双樹や紫陽花等の花々等、どれも見事でした。
続いて訪れたのが方広寺。
司馬遼太郎が「江戸時代の禅風をつたえる最後の人」と書いた足利紫山。
紫山が官長を務めたのが方広寺でした。
方広寺を開山されたのは無文元選禅師。
後醍醐天皇の皇子でいらっしゃいます。
禅師が中国より船で帰国の折に禅師を慕い、共に日本に渡った鼻の高い異人は、
お寺を守る天狗様の鎮守として祀られていました。
広い境内には天狗の団扇のマークを胸につけたボランティアの方が沢山いらっしゃいました。
山鰻の精進料理、御写経の後、そのボランティアの方の説明を受けました。
80を過ぎたその方はお寺のことを何でもご存じで、
生前の紫山老師とご自身の関わりについて、逸話をいくつも教えて下さいました。
開山堂の扁額は紫山老師のお筆。
傍には老師の銅像もありました。
帰りの浜松駅では、号外が配られていました。
富士山が世界文化遺産に登録という慶事の誇らしげな空気を土産に、帰途に就きました。
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