4/4_6 Kerria japonica

床 柳緑花紅

花 山吹

花入 宮崎寒雉 十四代

香盒 大黒天 雅耕

水壷 阿蘭陀焼

棗 独楽継

茶盌 楽入

替 伊予 二六窯

茶杓 銘 不易流行

蓋置 五徳

寄付 卯月 剃髪や風がからかい日が笑う

   藍彩線紋茶盌 昭和六十三年 十代大樋長左衛門襲名記念

   同年四月 熊木照衍剃髪により

 

 

 

 

 

 

突然ですが、このキャラクター、誰だと思われますか?

 

 

 

 

 

 

このイラストを見ただけでピンときた方は歴史通ですね。

 

それではヒントです。

 

 

プロフィール

性別    おとこ
年齢    15歳(なまいきざかり)
身長    165.1cm
体重    54.2kg
血液型   不明(多分B型)
誕生日   11月18日(永年4年/1432年)
利腕    右
基本色   茶色、山吹色
特徴    いつでも反省できるよう、
      山吹を持っている
性格    お父さんには素直になれない
      あー言えば、こー言う
      内弁慶
趣味&特技  お城づくり、反省すること、
       鷹狩り、夢を見ること

 

川崎市報道発表資料より

 

 

 

 

分かりましたでしょうか。

川崎市幸区日吉地区のPRを担っている、このゆるキャラの名前は、

 

「どうかんクン」

 

というそうです。

 

江戸城を築いたことで知られる太田道灌ですね。

 

江戸城を立派に修復し、江戸を首都にまで発展させたのは徳川家康ですが、

その約百年前に、それまで辺境の地であった江戸の町を切り開いた道灌の働きがなければ

家康は他の地に幕府を開いていたかもしれない…

という程の重要人物です。

 

そして道灌でもう一つ有名なのが、

「山吹の里」伝説です。

 

 

 

ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。

道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、

思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。

そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。

花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。

その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、

「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに

【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。

その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。

 

『太田道灌と山吹伝説』より

 

この逸話は落語『道灌』という題目があるほど有名です。

ちなみにゆるキャラのどうかんクンの頭に鷹が止まっているのもこのためですね。

 

もともと幼少期から聡明として知られる道灌。

この山吹伝説を経て歌道でもその才能を発揮していくこととなるのですが

当教室からも近い、小机で詠んだ歌についてのエピソードを紹介します。

 

1478年、小机城を責めることになった道灌。

小机城は守りが堅固、攻め手も少数であった為包囲は数十日に及びました。

味方が疲弊する中、道灌は

 

「小机は先ず手習いのはじめにて、いろはにほへとちりぢりになる」

 

という戯れ歌を作り、

兵に歌わせ士気を鼓舞することで、これを攻め落とすことができたと言われています。

 

 

それにしても「上手い!」と思わず膝を叩きたくなるような歌ですね。

 

戦は負けなし、頭が良く、歌の名手、道灌。

彼の活躍は関東一円が主であったので、私たちの身近な場所、思いもよらぬ場所で

「太田道灌」の名前を見ることがあります。

「どうかんクン」のいる幸区夢見ヶ崎もそうですし、

鶴見区駒岡にも石碑があるそうです。

 

小机城址とともに訪れてみたくなりました。

 

 

 

(4/8 午後追記)

 

 

・・・

 

というわけで

 

 

行ってきました。

 

 

駒岡中郷市民の森・かぶと塚ふれあいの樹林

 

ここで兜塚伝説について紹介します。

 

太田道灌が「加瀬の台(現・川崎市幸区)」に城を築こうと、

ここで一夜を過ごした際、「一羽の白鷲が道灌の兜をさらって飛び去り、南西の地に落とす夢」を見ました。

道灌はそれを不吉として「加瀬の台」での築城を諦め、

この地を「夢見ヶ崎」と名付けるとともに、鷲が兜を落とした場所に自身の兜を埋めました。

その地が「兜塚」と呼ばれるようになったのです。

 

 

因みに先ほど紹介したどうかんクンはこの夢見ヶ崎をPRしています。

 

そして兜塚。

車では少々行き辛い場所にあるようで、

少し離れたところに車を置いたのですが

地元の子供たちが「ここからでも行けるよ」と道案内をしてくれました。

 

…が、小学生たちが軽々と進んでいくその道は

足場もほとんどない山の中を進む、文字通りの獣道。

60歳を超えた母と10kgの娘を抱っこした状態の私にはとてもハードでした。

 

でも、時折振り返りながら私たちを連れて行ってくれた親切な子たちのお蔭で、

無事、山の上にある兜塚にたどり着くことが出来ました。

 

インターネットで兜塚のことを調べた時はどれも白鷺に兜を持っていかれ…

と書かれていたのですが

石碑のそばにある案内には「鷲」となっていました。

どちらが本当なのでしょうか。

(復旧したギャラリーをご覧下さい。)

 

 

それにしてもまさかこんな家の近所に太田道灌の縁の地があるとは驚きです。

山吹のお蔭で充実した月曜日になりました。