棚 四方棚
水壷 須田作 泥七宝
茶通箱
泥七宝とは、明治8年(1875)にワグネルというドイツ人化学者によって釉薬が改良されるまでの
光沢のない不透明な釉薬による七宝のことを指すそうです。
そもそも七宝とは…
七宝とは、一般的に金属の表面にガラス質の釉薬をのせて焼きつけたものの事をさします。また“七宝”という語は、仏教(法華経)の経典にある七つの宝物 「金・銀・瑠璃(るり)・蝦蛄(しゃこ)・瑪瑙(めのう)・真珠・玖瑰(まいえ)」を表し、その“七宝”に匹敵するほど美しいことから、この名称がつけら
れたと伝えられています。
その起源は古く、世界最古の七宝は、ツタンカーメン王の黄金のマスクに代表されるような時代のもので、紀元前十数世紀にまでさかのぼります。その後ヨー ロッパ各地に分散し、日本には、6・7世紀頃に中国・朝鮮を経て伝わりました。日本に現存する最も古い時代の七宝としては、裏面に七宝が施された鏡が奈良
の正倉院に保管されています。
(加藤七宝製作所 七宝の歴史より)
7~8世紀頃に大陸からもたらされた七宝ですが、中世のものはほとんど見られず、
桃山時代以降に再び室内装飾として脚光を浴びるようになったとか。
先日勉強した桂離宮の釘隠しも泥七宝です。
因みに中世に七宝作品が作られなかったのは技術的な理由なのか、当時の人々の趣味に合わない等の理由なのかは、どうやら定かではないようです。
明治に透明度と輝きを増した今の七宝が出てきて以来、泥七宝はすっかり廃れてしまうのですが
鈍い光を放ち、静かな佇まいの泥七宝に魅力を感じていた人も少なくなかったようで
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の作中に登場したり、
高村幸太郎の作品にも、『泥七宝』という小曲があるほどです。
今回のお稽古でも社中の方にお借りして泥七宝の水壷を飾りましたが
自己主張を控えた上品な色味は
周りの茶道具と調和しつつも独特の存在感を放っておりました。
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