床 八角磨盤空裏走
花 水仙(雪折れ)、蝋梅
花入 水仙籠
香盒 お福
茶杓 皇后様御歌「天地にきざし来たれるものありて君が春野に立たす日近し」
水仙は、先日の雪で葉が埋まっていたものを掘り出して使いました。
もうすぐ降ってから1週間が経ちますが、未だにあちらこちらに雪が残っています。
床は、大燈国師宗峰妙超の言葉です。
八角の磨盤とは、牛やロバを使って回す大きな鉄や石で出来た八角形の磨り臼のこととも、一切のものを破砕するという八角の古代武器とも言われています。
どちらにせよ、重量と破壊力は相当のものであろうと想像できます。
それが唸りを上げて空中を縦横無尽に飛び回るというのですから、
まあとんでもないというか、凄まじい迫力です。
鎌倉末期 禅宗の興隆がめざましく 教理学を重んじる旧仏教勢力が危機を抱き、天皇に上訴しました。
そして優劣を公開の問答(正中の宗論)で決することにした際、
仏教教理を学ぶことを本旨とする旧仏教側、延暦寺の玄慧に「禅とは何か」と問われ、すかさずこう喝破した大燈国師。
悟りを開いた境地というものは、妄執、我見、煩悩はおろか 有り難ぶった教え、澄まし返した学識さえ 木っ端微塵に打ち砕くのだと。
一代の学僧といわれた玄慧は この応酬に対し二の矢を放つことができず敗退
その後も大燈国師の勝利に終わり 禅宗は興廃にかかわる重大な危機を脱したといいます。
重要な局面で用いられたこの言葉は、
日本禅宗史上 記念すべき句となり 珍重されることとなりました。
現在、Bunkamuraで白隠展が開催されていますが、
「八角磨盤空裏走」の意味を理解するにあたっては、
言葉そのものを眺めているよりも白隠禅師の描いた大燈国師の絵を見た方が分かりやすいかもしれません。
この眼から発せられるとてつもない迫力は正にこの言葉を表しています。
ちなみにこの絵で大燈国師が右手を出しているのは、
十牛図の最後、10番目の「入鄽垂手」の姿です。
悟りの後に、街へ出て、人を導く姿。
実際、大燈国師は1307年、26歳で悟りを開いた後に実に20年もの間、乞食に混じり橋の下で暮らしていました。
我々に縁の深い大徳寺を開山したのは1315年。
入鄽垂手に勤められる中でのことだったようです。
大燈国師が手を差し伸べて作られた大徳寺。
この絵を見つめていると、
茶道を嗜むからには、禅についてもっと学ばなくてはと自戒させられます。
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大拙 (木曜日, 18 6月 2020 14:38)
「八角の磨盤空裏に走る」は大燈国師が、正中の宗論で使った句であるというのはそれでよいのですが、もともとはそれよりも200年以上前に、中国の圜悟が碧巌録を編集した時に、更に200年遡る雲門の「法身とは何か?六不収」というやり取りを紹介したうえで、解説として「八角の磨盤空裏に走る」を付け加えたというのが事実ではないかと思いますす。大燈国師はそれを読んで知っていたということで評価されたのでしょう。碧巌録47則をご紹介します。