手製和菓子帖(其の七)―蓬莱の玉―

竹取物語中に出てくる5つの難題は

 

石作皇子へ「仏の御石の鉢」
右大臣阿倍御主人へ「火鼠の裘」
大納言大伴御行へ「龍の頸の五色の玉」
中納言石上麻呂へ「燕の子安貝」

車持皇子へ「蓬莱の玉の枝」

 

これらを持って来させるというものでした。

 

今回はその中から最後に登場する

「蓬莱の玉の枝」を題材に菓子を作ってみました。

 

下の層は白餡の羊羹を、

五色のきんとんを散らした寒天で上の層を作りました。

 

きんとん餡が余るのが勿体ないと沢山撒いたところ、

てんこ盛りになってしまいました…。

もう少し控えめの方が良かったかもしれません。

 

また、上の層と下の層が分離してしまい

食べる際に苦労をおかけしました。

 

土曜のお稽古ではそれを防止するために黒文字を刺して提供していた様で、

図らずもそれが玉の枝に見えたとか見えなかったとか。

 

 

因みにこの蓬莱の玉の枝を所望された車持皇子は藤原不比等がモデルとされています。

財力のあった不比等は、他の4人とは違い、

黄金や真珠をふんだんに使ってこの蓬莱の玉の枝を自作しました。

というか、職人に作らせました。

そして、その出来栄えは素晴らしく、かぐや姫もこれには唯一騙されました。

しかし、ふいに庭にやってきた職人たちが給料をよこせと不比等に詰め寄り、嘘が露呈するのです。

千日間、つまり三年もかけて作ったのに何も払われなければ当然ですね。

 

このように、車持皇子が5人の貴公子の内最も卑怯な人物として描かれており、

恥ずかしい顛末を迎えていることから

藤原政権を暗に批判しているとされているのです。

(他にも不比等説を強める記述はいくつかあります)

そう考えると、藤原氏によって失脚し、文人になった紀貫之が作者であるとする説が

ますます有力になってくる…ということだそうです。

大体、これほどの物語を描ける程の文才がある人物はそういませんよね。

 

 

最も、この説も後世には何らかの新たな証拠の出現によって否定されるかもしれません。

それもまた楽しいですね。