2013年

12月

24日

12/19_21 雪満天

床 雪満天 鈴木一耕
花 蝋梅 小菊

花入 備前鶴首

 

2013年最後のお稽古でした。

毎年初釜で皆様に提出して頂く年頭の言葉や、

今年亡くなられた小林宗離さんの追悼文集、

1年かけて親しんだ十牛図の一覧等を並べ、

今年の振り返りを致しました。

 

十牛図は、十月のお茶会のテーマでもありましたが

今年社中の皆様が書かれた禅語でも

その言葉は十牛図であれば何番目にあたるかということを意識して頂きました。

 

言葉そのものの意味から当てはめられた方

ご自身の状況に照らされた方

アプローチの道は異なれど

各々これまで以上に十牛図を身近に感じて頂けたのではないでしょうか。

 

十牛図は悟りを開く過程を10枚の絵で表したものですが

茶道の修行や、人生に置き換えることもできます。

 

私自身、今年は般若心経と共に十牛図の本を読み漁り

研究をして参りましたが

十牛図を知ることは

謙虚になる、前向きになる、他者への尊敬の気持ちが強まる等

様々な良い効果があるように思います。

 

禅語を十牛図に当てはめることは来年以降も続けて参ります。

この試みが社中の皆様の心持にとって少しでもプラスになります様に。

 

 

 

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2013年

12月

18日

12/14 応挙館にて

 十二月十四日といえば討ち入りの日。

大高源吾が身分を隠し、茶人の山田宗徧から吉良邸での茶会の日程を聞き出したのは有名な話です。

宗徧は平家琵琶とも関わりが深く、

五十七面の琵琶を自ら製作しました。

 本日は討ち入りに関わった方々への供養として、平曲を語る中で供茶をいたします。

「城南離宮」は後白河法皇が幽閉された鳥羽伏見の離宮の話です。

年の瀬の内容であることと、灌頂巻に準じた扱いの伝授物であることから選びました。

 また、静かな思いのまま、「敦盛最期」の直実や敦盛の心情をご鑑賞ください。

 

「荻野検校顕彰会・平曲研究所共催

 平曲会と平曲講座 配布資料『趣旨』より」

 

 

 

12月14日(土)応挙館にて平曲会 討ち入りの供茶の点前をさせて頂きました。

予定より少し遅れて到着すると、待っていましたと社中の方がお道具を運び入れ・・・

 

・・・準備するとどうでしょう、大切な茶道具が何点か忘れられていることが発覚。

宗景先生が一言

「茶巾も茶筅もなくお願いします。」

供茶台の桂籠には蝋梅と小菊。

そこへ並べる供養の茶。

お道具もなしに初めての点前。

しかし何故か焦ることもなく

鈴木まどか先生のお見事な澄んだお声の語りは

この世のものとは思えない程素晴らしく

私はすっかり無心状態で終了することが出来ました。

 

お茶をされていない方にも

「何か変だなあ」と思われたでしょう。

主人が一言

「今日の点前は宗徧流じゃなくて想像流だね」

      (→現在の乙亥会を立ち上げる以前、母が35年間在籍)

 

最後になりましたが、宗景先生の上歌と琵琶お見事でした。

これだけの事をしながらの茶の準備大変だったことでしょう。

しかし皆々様への呈茶は茶筅も間に合い、無事に温かいお茶をたっぷりと差し上げることが出来ました。

これで良しとさせて頂きましょう。

 

(お茶とお菓子はまどか先生が御用意下さいました。

上林春松本店の「初音の昔」と亀屋良永の「月」。

琵琶の透かし入りのお懐紙に乗せてお出ししました。)

 

私も良い経験をさせて頂きました。

社中の方々の熱心なお仕事ぶりには感服です。

お寒い中お疲れ様でした。

 

心平常百事自成

 

宇井宗久

 

 

 

乙亥会一のベテラン、宇井さんは

今回の為にそれは熱心に練習に励まれていました。

そして当日の朝 

「心平常百事自成」

の字を見てから応挙館へ向かわれたとのこと。

結果として前代未聞のハプニングの中

極めて自然に、堂々とお役目を務められていました。

半東の森さんも落ち着かれていて流石でした。

正に日頃の努力の賜物と、

まどか先生の見事な平曲の語りにより精神が鎮められた結果ですね。

後はお二人とも

長年母の無理な注文に応えてこられたので

ハプニングに慣れていらっしゃるということも大きいかもしれません。

 

他の皆様も茶筅を買いに走って下さったり

色々とアイディアを出して頂いたりと

皆で一丸となってこの難局を乗り越えることが出来ました。

 

お道具を忘れるような失態は

もう二度とあってはいけませんが

宇井さんを見習って

不測の事態でも平常心でいられる様修行に励まなくてはいけませんね。

 

 

普段入ることのできない国立博物館の応挙館で

お供茶と呈茶をさせて頂くという貴重な経験をさせて頂きました。

鈴木まどか先生には改めて深く御礼を申し上げると共に

不手際をお詫び致します。

今後とも母と、乙亥会一同を宜しくお願い申し上げます。

 

 

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2013年

12月

10日

12/4_6 〇

床 円相
花 雪柳照葉 小菊

花入 青華園

香盒 猩々 九谷

 

床は、夏からお稽古を始められた小寺さんの最初の作品です。

円相には様々な意味が込められ、また見る人によっても様々な解釈を与えるものです。

 

十牛図では8番目の「人牛俱忘」が円相の形をしておりますが、

小寺さんがこれを描かれた心境では2番目の「見跡」なのだそうです。

前提に引っ張られることなく、ご自身を冷静に分析されています。

 

茶道の所作は円で構成されています。

円の形は、周りの空気に和することです。

小寺さんがその場にいらっしゃると周りに笑顔が生まれて和やかな空気になります。

「円」、「和」を体現されているからこそ選ばれたモチーフですね。

 

 

 

 

 


香盒は、その小寺さんの為に猩々を選びました。

 

猩々とは・・・

 

(1)オランウータンのこと。または、オランウータン・ゴリラ・チンパンジーをさす。
(2)中国の、想像上の動物。猿に似ているとされ、人の顔と足をもち、人の言葉を解し、酒を好むという。日本では、赤面赤毛とされている。
(3)酒飲みの異名。
(4)能の曲名
 
三省堂 大辞林より

 

「もののけ姫」の映画にも

大きなチンパンジーのような「猩々」が、森の賢人として登場します。

 

ただ、香合の写真を見て頂ければお分かりの通り

今回の猩々は(4)です。

 
 
能の猩々は、
もののけ姫の、森に住むのとは違い、海から出てくる妖精(?)なのだそうです。

 

 

むかし、潯陽江(揚子江)の傍らにある金山に、

親孝行者の高風という男が住んでいた。

高風は市場で酒を売れば多くの富を得るだろうという、

神妙な夢を見てお告げに従い市場で酒を売り始める。

酒売りは順調に進んだが、毎日高風の店に買いに来る客の中に、

いくら飲んでも顔色が変わらず、酒に酔う様子がない者がいた。

不思議に思った高風が名前を尋ねると、

自分は猩々と言う海中に住む者だと答えて立ち去る。

そこで高風は美しい月夜の晩、川辺で酒を用意し猩々を待っていると、

水中の波間より猩々が現れる。

共に酒を酌み交わし、舞を舞い踊り、

やがて猩々は高風の徳を褒め、泉のように尽きる事のない酒壷を与えて帰ってゆくのであった。

 

wikipediaより

 

この演目で

役者の面や装束が鮮やかな赤色・緋色のため

猩々緋という色名も生まれました。

赤みの強い赤紫色で、戦国時代は信長や秀吉の陣羽織に用いられ、

それは圧倒的な存在感を放っていました。

 

赤みのあるものには「猩々」がついていることがあります。

猩々袴に猩々蜻蛉、猩々朱鷺…

そして「ショウジョウバエ」。

目が赤いこともありますが、お酒に集まる性質があるから名付けられたのだそうです。

 

あと

「猩々木」というのもあります。

この時期よく見かける葉の赤い樹木といえば・・・

 

 

 

 

クリスマスに欠かせない

ポインセチアのことなのだそうです。

 

 

 

赤を表すことば、「猩々」。

勉強になりました。

 

この時期忘年会等楽しくお酒を飲んで

顔が猩々色になっている方も沢山いらっしゃることでしょう。

 

 

ちなみに

母は、楽しいお酒とおめでたいイメージから小寺さんに相応しいと考えたとのこと。

決してお猿さんのようとか、顔が赤いということではありません。

悪しからず・・・

 

 

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2013年

12月

09日

11/28_30 第21回花の式


寄付 山水図 十二カ月 表裏 岡本豊彦

床 茶七律賦 帆足杏雨

花入 青磁 酒器

香合 倣 仁清 結文香合 横山

釜 大講堂釜 西村道也

炉縁 柿合わせ

水壺 古染付

茶器 古瀬戸 肩付 銘 羅漢

仕服 青木間道

棗 鎌倉彫 工藤文子

主茶盌 萩 銘 ゆきえい 十二代原陶兵衛

袱紗 扇手更紗

薄茶盌 久谷 黒唐草 美山堂

替 仁清写 干支黒釉色絵鱗 藤谷芳哉

茶杓 景色竹 銘 末廣 柳田増子

蓋置 七宝

建水 曲

濃茶 蓬莱の昔 一保堂茶舗

主菓子 鳳餅 薫風

器 蒔絵銘々皿 塗師 表寛

薄茶 宇文字 松倉茶舗

干菓子 鳳瑞 州浜

器 朱布張塗八寸盆

 

 

初めての花の式。

 

これまで社中のみなさまの趣向を凝らした花の式のお席に入らせていただき、

果たして私にもできるのであろうかと、そんなことを考えた日々でした。

 

それを助けてくれたのが母方の祖父と義母です。

特に祖父は、古いものを集めるのを趣味とし、我が家にもそのいくつがありました。

 

茶道にも通じていたようで、祖父が茶杓を自ら削っていたと聞いたのは、

母が亡くなった後、母の同級生からです。

 

軸は晦日の四日前に静かに茶をたてる様子が書かれたものです。

以前整理をしていた時に見つけていたもので、季節もあったことは本当にうれしいことです。

 

他に道具になるものはないかと納戸を探ってみると、

幼いころ馴染んでいたもの、またそうでないものが出てきました。

 

水壺の蓋を開けると、そこには私が小学生の頃制作したしたアップリケが。

幼いころの思い出が、いっぱいつまった水壺。

そして、見つけてくれてありがとう、と言っているようなお釜。

え?わたしを飾ってもらえるの?と驚いている古い山水画。等々。

 

どちらかといえば欧米のものを好んだ母が表舞台に出さなかった道具たち、

そのうれしい声が聞こえて来ました。。

 

茶入れやお茶椀は、二年前に義母から譲り受けたものを使わせていただきました。

義母は茶道を教えていたこともあり、

茶道を再開した私に託した道具がこんなに早く出番がきたことに喜んでいます。

棗はこの夏に亡くなった義母の姉制作のもの。

これを譲り受けた日に偶然叔母から電話があったことも思い出されます。

 

主菓子は、少しこだわりをもって、千駄木の薫風にお願いしました。

ここのオーナーは和菓子の世界では珍しく若手の女性です。

軸の内容に合わせ、また蒔絵の銘々皿にあうお菓子を考えていただきました。

 

銀杏餅、菓子名は軸の中にある通り、鳳餅としました。

 

干菓子は鳳瑞と州浜です。

鳳瑞は伝統のお菓子ですが、関東ではなかなか出会えないお菓子です。

 

茶懐石はいつものように社中で分担いたしましたが、

どれもみなさまのお心がこもったすばらしいものでした。

 

茶懐石がはじめてのみなさまは本当に良い経験ができたと感想をくださいました。

 

両日とも天候に恵まれ、お庭の待合を使わせていただき、

お花は青磁の花入れに合わせて、先生がさざんかを選んでくださいました。 

 

自身は茶道のたしなみがほとんどなかった母ですが、

私に茶道を習わせてくれたのもその母です。

そしてブランクの後、宗景先生に入門させていただき、

花の式という場で、その存在が気付かれていなかった道具たちがみなさまのお目に触れることができた、何とも不思議な気持ちです。

 

お道具ばかりでなく私自身も祖先からの歴史の中に存在していることをあらためて思った花の式となりました。

 

この度、茶入れに「羅漢」という銘を、

主茶碗に娘の名、幸英より「ゆきえい」という銘をつけさせていただきました。

 

祖父の言葉によると、古いものには「くらさび」があるそうです。

 

これらのお道具をまた子供たちへと繋いでいく大切な役割を感じております。

 

ここまで導いてくださった宗景先生、お力を貸してくださったみなさま、

そして先祖への感謝の二日間でした。

 

(以上 小杉さん感想)

 

 

 

21回目の花の式は、以前より茶道を嗜まれていた小杉さんが担当されました。

 

ご本人と、ご主人様の家に受け継がれてきたお道具の数々。

花の式という表舞台に上がり、見事に調和されていました。

ご本人の感想にもあったように、お道具達もさぞかし喜ばれていることでしょう。

 

歴史を経た、「くらさび」のお道具を沢山拝見できた今回は

正に花の式の王道を味わうことが出来ました。

 

今回使わせて頂いたことによって

また新たな思い出が刻まれたことを嬉しく思います。

 

お菓子にもこだわりが込められていて

新しさと時代の橋渡し役を務めていましたね。

 

有り難うございました。

 

 

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2013年

11月

25日

11/21 喜左衛門

 

根津美術館で特別展『井戸茶碗 戦国武将が憧れたうつわ』
を見てきました。

 

展のメインは何と言っても「喜左衛門」。

日本の国宝の茶盌は8つありますが

その中でも侘び茶を体現している最高峰の茶盌と言われています。

 

所有した人物が次々と腫物にたたられたという曰く付きの盌。

 

実際拝見してみると

歪みがあったり木の葉の形のような景色があったり、腫物のようなものがあったり。

見込みは琵琶色の肌に黒い染みが奥行きを作っていたり。

大小様々に変化の富んだ梅花皮だったり。

 

それはそれは見所が沢山あって飽きないのですが

それらが全て無作為であるところが最高峰と言われる所以でしょう。

 

どんなに同じような風情を作ろうと思っても(そう思った時点で)

絶対に辿り着くことが出来ない高みにある一盌は

見るほどに魅入られる。

私自身、集中しすぎて思わず動悸がするほどの魔力を感じたのは

腫物の逸話のせいでしょうか。

 

この茶盌について、柳宗悦による考察が大変興味深かったので載せておきます。

 

 

大名物 国宝  喜左衛門井戸

「いい茶碗だ─だが何という平凡極まるものだ」、私は即座にそう心に叫んだ。平凡というのは「当たり前なもの」という意味である。「世にも簡単な茶碗」、そういうより仕方がない。どこを捜すもおそらくこれ以上平易な器物はない。平々坦々たる姿である。何一つ飾りがあるわけではない。何一つ企みがあるわけではない。尋常これに過ぎたものとてはない。凡々たる品物である。

 それは朝鮮の飯茶碗である。それも貧乏人が普段ざらに使う茶碗である。全くの下手物である。典型的な雑器である。一番値の安い並物である。作る者は卑下して作ったのである。個性など誇るどころではない。使う者は無造作に使ったのである。自慢などして買った品ではない。誰でも作れるもの、誰にだってできたもの、誰にも買えたもの、その地方のどこででも得られたもの、いつでも買えたもの、それがこの茶碗のもつありのままな性質である。

 それは平凡極まるものである。土は裏手の山から掘り出したのである。釉は炉からとってきた灰である。轆轤は心がゆるんでいるのである。形に面倒は要らないのである。数が沢山できた品である。仕事は早いのである。削りは荒っぽいのである。手はよごれたままである。釉をこぼして高台にたらしてしまったのである。室は暗いのである。職人は文盲なのである。窯はみすぼらしいのである。焼き方は乱暴なのである。引っ付きがあるのである。だがそんなことにこだわっていないのである。またいられないのである。安ものである。誰だってそれに夢なんか見ていないのである。こんな仕事して食うのは止めたいのである。焼物は下賤な人間のすることにきまっていたのである。ほとんど消費物なのである。台所で使われたのである。相手は土百姓である。盛られるのは色の白い米ではない。使った後ろくそっぽ洗われもしないのである。朝鮮の田舎を旅したら、誰だってこの光景に出会うのである。これほどざらにある当り前な品物はない。これがまがいもない天下の名器「大名物」の正体である。

 だがそれでいいのである。それだからいいのである。それでこそいいのである。そう私は読者にいい直そう。坦々として波瀾のないもの、企みのないもの、邪気のないもの、素直なもの、自然なもの、無心なもの、奢らないもの、誇らないもの、それが美しくなくして何であろうか。謙るもの、質素なもの、飾らないもの、それは当然人間の敬愛を受けていいのである。

 それに何にも増して健全である。用途のために、働くために造られたのである。それも普段使いにとて売られる品である。病弱では用に適わない。自ら丈夫な体が必要とされる。そこに見られる健康さは用から生まれた賜物である。平凡な実用こそ、作物に健全な美を保証する。

 「そこには病に罹る機縁がない」と、そういう方が正しい。なぜなら貧乏人が毎日使う平凡な飯茶碗である。一々凝っては作らない、それ故技巧の病いが入る時間がないのである。それは美を論じつつ作られた品ではない、それ故意識の毒に罹る場合がないのである。それは甘い夢が産み出す品ではない、それ故感傷の遊戯に陥ることがないのである。それは神経の興奮から出てくるのではない。それ故変態に傾く素因をもたないのである。それは単純な目的のもとにできるのである。それ故華美な世界からは遠のくのである。なぜこの平易な茶碗がかくも美しいか。それは実に平易たるそのことから生まれてくる必然の結果なのである。

 非凡を好む人々は、「平易」から生まれてくる美を承知しない。それは消極的に生まれた美に過ぎないという。美を積極的に作ることこそ吾々の務めであると考える。だが事実は不思議である。いかなる人為からできた茶碗も、この「井戸」を越え得たものがないではないか。そうしてすべての美しき茶碗は自然に従順だったもののみである。作為よりも自然が一層驚くべき結果を産む。詳しい人智も自然の叡智の前にはなお愚かだと見える。「平易」の世界から何故美が生まれるか、それは畢竟「自然さ」があるからである。

 自然なものは健康である。美にいろいろあろうとも、健康に勝る美はあり得ない。なぜなら健康は常態だからである。最も自然な姿だからである。人々はかかる場合を「無事」といい、「無難」といい、「平安」といい、また「息災」という。禅語にも「至道無難」というが、難なき状態より讃うべきものはない。そこには波瀾がないからである。静穏の美こそ最後の美である。『臨済録』にいう、「無事は是れ貴人、造作することなかれ」と。

 何故「喜左衛門井戸」が美しいか、それは「無事」だからである。「造作したところがない」からである。孤篷庵禅庵にこそ、あの「井戸」の茶碗は相応しい。見る者に向かって常にこの一公案を投げるからである。
 
柳宗悦『茶と美』「喜左衛門井戸」を見る より
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2013年

11月

18日

手製和菓子帖(其の十七)―無花果羊羹―


無花果が沢山あったので、甘露煮にしておいたものを

羊羹に加工しました。

 

甘露煮に十分甘味があるので、白餡と砂糖の量を減らしました。

無花果のつぶつぶも感じられると、好評を頂きました。

 

限られた時期しか手に入らない無花果。

来年も仕入れてこれを作りたいと思います。

 


(甘露煮を作る様子。

入れるのは砂糖のみ。

無花果の持つ水分だけで仕上げます。)

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2013年

11月

18日

11/14_16 火熨斗

 

床 不風流処也風流
花 錦木照葉 小菊 桜蓼

花入 通い筒

蓋置 雀 黒陶 泉釡

寄付 火熨斗に小菊

 

床は8月から新しくお仲間に入られた小沼さんの作品です。

 

はじめは無様でも直向きにその道を続けていれば、

いつか様になってくる。

そして続けているその姿自体が風流になる。

この禅語はお茶を始めたばかりで右も左もわからない私には

大変な励みの言葉となりました。

 

小沼さんの紹介文より

 

そこで花や香盒には敢えて庶民的な題材を選び

寄付には火熨斗を花入に見立てました。

 

 

十牛図であれば2番目の見跡ですね。

 

山中をさまよいながら、

牛の姿が見たい、これは牛の足跡かもしれない

とさまよう姿は

 

何も分からない人から見れば

果たして何をやっているのだろう?

というところですが

 

課題に向き合い、道を踏み進めていく行為はとても尊いもので

高僧や大茶人と呼ばれる方々も

必ずこの過程を通って来られたのです。

 

フレッシュな感覚とともに 

不恰好な自分を楽しみましょう。

 

 

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2013年

11月

18日

11/7_9 炉開き

床 松風 法谷文雅老師
花 炉開椿

花入 香炉型

玄猪包 仁清写

寄付 牡蠣香盒

 

12月に国立博物館の応挙館で催される琵琶の会で

台子点前の供茶を行う為

その練習を始めました。

 

 

 

寄付には浜辺の松風を感じて頂こうと、

牡蠣で作った香盒を飾りました。

 

 

玄猪包等炉開きの知識については

昨年の記事「11/15_17炉開き」をご覧下さい。

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2013年

11月

18日

10/27 第17回三葉会茶会―十牛図―

 

床 無辺風月 足利紫山

花 庭のもの

花入 益子焼 浜田庄司

香盒 砧蒔絵 鈴木光入

風炉先 秋草図

風炉釡 鉄面取風炉 万代屋釡

水壷 銘 帰家穏坐 濱野佑樹

茶器 陶漆 菱田賢治

茶杓 竹漆 銘 飄々 菱田賢治

茶盌 ととや

替 かがよう志野 鈴木富雄

建水 曲 飛騨春慶

蓋置 引切 誡堂老師在判同箱

茶 宇文字 松倉茶舗

菓子 銘 月光 青柳

器 古唐津 五升皿

琵琶床 琵琶 銘 相応

 

 

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2013年

11月

18日

10/24_26 打ち合わせ 準備

 

27日の打ち合わせと準備を行いました。

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2013年

11月

18日

手製和菓子帖(其の十六)―ずんだ羊羹―

 

丹波篠山の黒豆が沢山あったので
ずんだを作り、更に羊羹に仕立てました。

 

元々のお豆の味がとても濃厚でしたので

砂糖の量を減らしました。

素材の風味を味わって頂けたかと思います。

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2013年

11月

18日

10/17_19 不羈


床 自分にな なまけるな おこるな あせるな 

  くさるな おごるな

花 ダリア(戻り花)

花入 李朝

 

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2013年

11月

18日

10/10_12 桂花露香

 

床 秋海堂 芒(模 茶道雑誌十月号表紙)

花入 旅枕 大樋長左衛門

小間 大津絵

寄付 桂花

 

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2013年

10月

10日

10/9 母と子の茶会

妊婦さんや母親、赤ちゃんの為に様々な講座を開かれている

横浜の「いのち・こころ・からだ・くらしの学び合いの場~Umiのいえ~」にて、

畳替えのチャリティ企画として

「親子でお抹茶を楽しむ会」

を開催致しました。

 

いつもは食育講座やトリートメントセラピー等が行われているお部屋を

お茶室へと一日模様替えさせて頂きました。

 

貝の粉で出来ているという、白く美しい壁のお蔭で
掛物がとても映えました。

 

 

 

床 風とゆききし雲からエネルギーをとれ

 

宮沢賢治のことばです。

子ども達が、風を肌に受け、大地から、

宇宙から力をもらって

大きく、逞しく育っていって欲しい。

その願いから、この詞を選びました。

 

 

 

花 撫子 大文字草 千日子坊

 

ナデシコは、文字通り「撫でる子」と書きます。

子を撫でるように可愛い花なので撫子。

全ての母親の気持ちを代弁する花として

また、思わずなでなでしたくなる、可愛い子達に沢山会えるだろうと期待を込めて

この花を真っ先に選びました。

 

 


香盒 柘榴 㐂山

 

今回、お茶会のお話を頂いて最初に決めたお道具です。

 

柘榴の香合は先日のお稽古でも使ったもので、

こちらの記事「grenade」にも詳しく解説しましたが、

会記に書いたものを再度載せておきます。

 

お産や子供の守り神、鬼子母神は

その手に柘榴を持っています

柘榴は一つの実の中に沢山の種子が存在することから

縁起の良い果物として

世界各地で親しまれています

 

安産と子育ての仏様、鬼子母神。

子孫繁栄や豊穣の意味を持つ柘榴。

 

出産、子育ての支援活動をされている斉藤麻紀子さんが代表を務められるUmiのいえには

柘榴はこれ以上ないモチーフであると確信致しました。

自然と、後ろのカーテンとも調和しているように思います。 

 

 

 

 

茶杓 銘「黎明」

 

この茶杓は、随分と昔から所有していたのですが、

名前を付けていませんでした。

写真では分かり辛いのですが

節下の中央左側に、黒い点があるのが特徴的です。

 

茶会に向けてお道具を選んでいたある時、

この点を中心にしばらく眺めていますと、何やらこの茶杓が

妊娠が分かってすぐ産婦人科を受診した時にもらう

超音波写真のように見えたのです。

茶杓は母親の胎内、黒い点は、胎嚢です。

銘は、それに因んだものにしようと思いました。

 

ただ、茶杓の銘が「胎嚢」ではあまりにむき出しですし

地中でこれから芽を出さんとする種子のようにも見えます。

 

そこで

あたらしいものが始まる、

ここから明るくなる、物事の起こり

という意味で

 

「黎明」

と名付けました。

 

今回、母と子のお茶会で初使いさせて頂いたことで

ずっと眠っていたこの茶杓も新たにスタートを切ることが出来ました。

大切に育てていきます。

 

 

 

菓子 芋ようかん 澤村美保作

 

今回のお菓子は、小さなお子様にも召し上がって頂きたいという狙いがあったことから

Umiのいえで食育講座を担当されている澤村先生に特別に作って頂きました。

 

甘味の添加を極限まで抑え、自然のお芋の甘味を存分に引き出した羊羹。

表面は桑茶で上品な景色が描かれています。

 

とても素朴な甘さで、それでいて高級感のある滑らかな舌触りに

離乳食の赤ちゃんからお孫さんのいるお客様まで皆様とっても喜ばれていました。

 

昔から、「和菓子の甘さは干し柿を超えてはならない」と言われているくらいですから

砂糖に頼らずに自然の持つ甘味を味わうことは大切ですね。

特に、あんこを使ったような生菓子と呼ばれる和菓子は

本来濃茶の時に出されるものですから

今回のように薄茶をお出しする時は、作って頂いた芋羊羹の甘味があるべき姿と言えるかもしれません。

 

素敵なお菓子を作って頂いて本当に有り難うございました。

 

 

 

茶盌 母子馬 桃太郎 他

大人のお茶盌は、色々な動物が描かれたものを使いました。

馬に、桃太郎の犬、兎に猪…

それぞれ干支の年に購入したものでしたが

たまたま同い年のお客様に当たられたことが何度かありました。

自分や、家族の干支というものは、特別な思いが致しますね。

 

動物のお茶碗は

初めての空間で親子共に緊張されている場合もあるかもしれないので

親子で一緒に見て楽しめるようにと選びましたが

実際にお茶席で

「あ、うさぎさんがいるよ、ぴょんぴょん」

「♪もーもたろさん、ももたろさん♪」

とあちこちに会話の花が咲いているのを見ると

飛び上りたいほど嬉しくなりました。

 

お子様用には、大人のお茶盌より一回り小さいものを用意しました。

大人よりも少し薄めに点ててお出ししましたが

2歳に満たない子から、皆さんゴクゴクと飲まれていました。

「お抹茶は苦い」という先入観を持つ前の方が、案外すんなりと飲めてしまうのかもしれません。

ちっちゃなお客様からはにかみながらの「おいしい」の一言にスタッフ一同癒されておりました。

 

お母様達からも美味しいと喜んで頂けて

中には「泣きそう」とおっしゃる方まで。

学生時代の京都旅行を思い出したと言われていました。

 

日々育児、家事に追われて忙しい毎日を送るお母様達に

ほんの束の間でもほっとできる空間を作りたい

その一心でこの茶会を企画しましたので

お茶の味を純粋に楽しんで頂けたのであればこれ以上の喜びはありません。

 

 

Umiのいえは私自身、出産後に何度も利用させて頂いていますが

温かく、愛の溢れる空間です。

今回はそれに相応しい茶席をと思い、母や社中の皆様に助けを借りながら準備してきました。

 

乳幼児の親子をメインのお客様としたお茶会というのは、

中々類を見ない企画であったと思います。

 

女性ばかりの茶席で、赤ちゃんの泣き声が聞こえたり、幸せそうな授乳姿が見られたり。

(時には私の娘がお客様の後ろで寝ていたり…)

 

格式の高いお茶会では憚られることも、眉をひそめられることは全くありません。

それくらい自由にして頂いても、不思議なもので

自然と大人も子供も声がひそひそになって

部屋の全員が協力してお茶席の空気を作り上げていました。

 

今までどのお茶会でも経験することのなかった

母性と生命力の温かさに満ち溢れた会になったように思います。

 

お孫さんのいる世代の乙亥会のスタッフの皆さんも

沢山の赤ちゃんを抱っこしたり、お子さんと触れ合えて

とっても楽しかった、全員可愛くて仕方がなかったと

喜ばれていました。

赤ちゃん、子供の存在は明かりそのものですね。

 

麻紀さんには打ち合わせの段階から

色々と我儘ばかりでご迷惑をおかけしました。

無理な注文も笑顔で引き受けて下さって

私たちの昼食のお部屋を用意して下さったりと

沢山お気遣い頂きました。

 

いつも愛情を持って接して下さる麻紀さんにお返しがしたいと常々思っていましたが

喜んで頂けたようで本当に嬉しいです。

 

 

また、当日は今年3月に亡くなられた小林宗離さんの姪御さんも来て下さって

ようやく念願の、お茶を差し上げることが出来ました。

 

Umiのいえスタッフの皆様や、趣味で仲良くさせて頂いてる方、

子育てを頑張るお母様達と、未来を担う子どもたち。

大切なお客様を沢山お迎えすることができて幸せです。

 

 

とても貴重な経験になりました。

宇井さん、旦那様、森さん、梶田さん、谷さん

皆様、心より有り難うございました。

 

 

 

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2013年

10月

10日

10/3_5 式年遷宮

 

床 秋山風月清
花 赤水引

花入 飛騨春慶

香盒 宇治橋模擬宝珠

寄付 第61回御木曳 

 

 

 

 

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