床 木の間より洩りくる月の影見れば心尽くしの秋は来にけり 古今 不知詠人
花 萩
花入 舟徳利
茶入 広沢写
寄付 飛蝗 富士西湖土産
茶入「広沢」は、遠州が釉抜けのある独特の景色からこれほどの茶入を見た人はあるまいとの意で、
「広沢の池の面に身をなして 見る人もなき秋のよの月」
の古歌をひき、命銘したと伝えられています。
観月の名所、広沢池にちなみ、牙蓋の裏側には(金ではなく)
銀貼りをし、満月に見立てています。
広沢の池は、三大名月鑑賞池のひとつです。
西行や藤原定家も詠んだ観月の名所として平安時代から知られていたようです。
小堀遠州は自身の所持する末広がり肩衡茶入が皆から高評価されなかったことから、
この歌をひいて見事さをたたえたと言われています。
ここで疑問が生じます。
観月の名所であれば、この古歌の「見る人もなき」と矛盾が生じます。
遠州の頃は一時的に忘れられていたのでしょうか。
遠州自身の歌ではないのでそれより前からということになりますが。
調べてみると、
「遍照寺が建立された当時、池は遍照寺池と呼ばれていたらしい。寺は、十四世紀に入った後宇多天皇の頃から次第に荒廃、移転した。池は、明治時代の遍照寺の住職が中心となり、地元の人々の協力で修復された。」
名所旧跡めぐりより
平安末期から鎌倉時代にはもう廃れてしまっていたのですね。
遠州が見られなかった平安初期の美しい月見の池を
現代の私たちは見ることができるのですね。
遠州が、後に地元の方の尽力で再び名月の地として脚光を浴びるようになることを知っていたらこの茶入は違う名前になっていたかもしれません。
肩から円錐状に広がる型、蓋裏の銀、そして剣先緞子が広沢の特徴とのことです。
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